1月15日礼拝「アーメン。アーメン。その通り。その通り

詩篇NO41「アーメン。アーメン。その通り。その通り」41篇5~13節

                       仁井田義政 牧師

 今日の詩篇は、ダビデの第一巻の終わりのところです。この詩は、キリストの十字架にまで預言的に言及されています。そういう意味で非常に興味深く、ダビデの詩篇第1巻の終わりの詩として、最もふさわしいものです。

★1~2節で、ダビデは日常の「弱っている人」に心を配ってきた人生を振り返っています。「神はそのような人を必ず助け出される」という、現代においても一般的な因果応報的な理解を述べています。しかし現実は、彼の病気によって弱ってきていることを喜ぶ「敵」(2節)がいたのです。

★貧しい人に心を配ってきたからと言って、私に罪がないということではなく、罪はあるとダビデは告白して、神様の前にどこまでも真実であろうとしています。しかし見舞いに来た友人が「邪悪なものが、彼にとりついている」(8節)とダビデの悪口を言いました。

★9節では、キリストの十字架についての預言がされています。イエス様が、最後の晩餐でこの言葉を引用されているので分かります。それはユダの裏切りのことです。イエス様は、ダビデの体験した親しい者からの裏切りは、私において究極的に実現したと言われているのです。つまり詩篇41篇は、キリストの受難において成就したのです。

★10節に「仕返しができます」とあります。しかしそれは病気から立ち上がることによってです。ユダや人々の裏切りに遭い、十字架で殺されたことはイエス様の敗北ではありません。イエス様は復活によって勝利されたのです。その事実は、真の神にしか出来ない逆転勝利でした。

★まさに最後の言葉にあるように、「ほむべきかな。イスラエルの神、主。とこしえから、とこしえまで」なのです。イエス様の敗北に見えた十字架の死があったからこそ、復活という勝利につながったのです。

あなたにも、イエス様の十字架のような苦しみがあるかもしれません。しかし十字架には、逆転の勝利があるのです。それで41篇は「アーメン。アーメン」と、第一巻が閉じられるにふさわしい言葉が記されています。それは「その通り。その通り」という意味です。私達もそれに倣って、「アーメン。アーメン。その通り。その通り」と心から信じて祈りましょう。

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