1月8日礼拝「幸いなことよ、主に信頼する者は」

詩篇NO40「幸いなことよ、主に信頼する者は」40篇1~6節

                       仁井田義政 牧師

新年も第二週に入りました。今日から詩篇の講解メッセージを再開いたします。今日の詩篇は、「指揮者のためのダビデの賛歌」という題がついています。それは、大切な歌として繰り返し正式な礼拝において演奏され歌われたことを意味します。なぜそれほど大切な歌なのでしょうか。

★この詩は、感謝と祈りの二部構成になっています。1~10節は感謝の詩篇で、11~17節は苦しみの中の祈りになっています。逆ですと「悩みから救われた歌」となりますが、前半と後半があまり違うので、別の詩ではとの説さえあります。

★前半は、後半の苦しみの中にいる著者が、かつての神様の救出を思い出し希望を繋いで祈っている歌です。長年の信仰生活においては、信仰の財産として神様の救出の御業が積み上がり、そのことが試練に耐える力となってきます。ですからダビデにも、そのことが財産となり賛美となって、苦難の中のダビデを支えたのです。私達も苦難に強い人になりたいと思います。

★この詩は、キリストを預言した詩とも言われています。それは、 『わたしは、あわれみは好むがいけにえは好まない』(マタイ9:13)とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」とイエス様が引用されているからです。それはまたマタイ12章7節でも引用されています。

★このように、幾度もの神様の救出を体験した人は、11節のように苦しみにあっても絶望することなく、神様に祈ることが出来るのです。もちろん苦しみや悩みなどは無い方が良いのですが、イエス様も「この世においては悩みがある」(ヨハネ16:33)と言われました。イエス様は絵空事のような約束はされません。この世にいる間は様々な苦難や問題が襲ってきますが、その時にも救い主である私が共にいるのだから、そのことを信じて祈り勇敢に生きて行きなさい。と言っておられるのです。

私達もダビデのように、苦難の中にあっても、新しい歌を歌いながら、新しい年を楽しく生きて行きましょう。

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