12月4日礼拝「主を待ち望め」

                       仁井田義政牧師

 12月に入りました。世の中を見ますと、様々な問題が渦巻き、津波のように襲い掛かっています。国の指導的な立場にあるはずの国会議員たちは、年間六千万円以上ももらっていながら、脱税までしている人がいるのです。ダビデの時代も、37篇1~23節の中に見られるように、悪者が私利私欲のために動き回っていたことが記されています。1節に「腹を立てるな」とありますが、「これに腹を立てずにいられますか」と反論したいくらいです。

★今日の聖書に記されている悪者は、借りたものも返さない人です。それはお金がないからではなく、もっと欲しいからです。むしろ貧しい人は、貧しさを知っているので、貧しい人に対して優しく、施したり貸したりすると記されています。そのような心の優しい人になりなさいというのです。

★34節には「あなたは悪者が断ち切られるのを見よう」と記されています。そうでしょうか。ダビデの時代も今の時代も、悪者が必ず裁かれて滅びるとは限らず、むしろ栄えていることも多いのです。聖書は、そのようなことを言っているのではありません。終末には必ず裁きがあるのです。この世で悪事を尽くして野生の木のように栄えたとしても、わずか数十年のことなのです。死後にはもう何もないのです。

★ですから聖書は「主を待ち望め」と記しています。37節には「全き人に目を留め、直ぐな人を見よ」「正しい者の救いは、主から来る」と記されています。「全き人、直ぐな人」などいるでしょうか。パウロはローマ3章26節で「全ての人は罪を犯した」と記しています。ですから全き人などいないのです。否、たった一人だけおられます。それはイエス様です。イエス様が私達の模範なのです。間違いのある人を模範とするならば、間違った人となってしまいます。統一教会が問題になっています。間違いのある人を模範とすると、その人々も間違った人になってしまうのです。

★「正しい者の救いは、主から来る」(39節)のです。イエス様は、既に来て下さいました。それと同時に、イエス様は再臨の主として来られるのです。 私達は、地上の欲に惑わされ不信仰や悪に染まることなく、イエス様を模範として、正しいクリスチャンとして生きて行きましょう。

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