11月20日礼拝「友に裏切られたダビデの祈り」

詩篇NO35「友に裏切られたダビデの祈り」35篇11~16節

                        仁井田義政牧師

 この詩は、友に裏切られたダビデの祈りです。信頼していた者に突然裏切られるということほど、辛いことはありません。何か裏切る理由があるならばまだしも、7節にあるように「ゆえもなく」裏切って来たのです。それだけにダビデの苦悩は深いのです。ダビデはその苦悩をどのように乗り越えようとしているのでしょうか。それは祈りによってでした。

★ダビデは、「主よ、盾と大楯をとって私を助けに立ち上がってください」と祈りました。私達人間はすぐに怒りに任せ、辛さに耐えきれずに実力行使をしたいのです。しかし、ダビデは神様にその戦いをゆだねました。神様は真実を知っておられ、完璧に罪ある人を裁くことが出来るからです。

★ダビデに敵対した人は、ダビデが信頼していた人でした。その人が病気の時は「荒布」(13節)をまとったのです。それは絶対的な悲しみを表わしました。また「断食して」(13節)祈ったのです。そして「兄弟や母の死に接したように」(14節)、祈り泣き悲しんだのでした。それなのにダビデに敵対した者は、一抹の倫理道徳の責めも感じることなく、命を狙って来たのです。

★神様に一切を委ね、仕返しをしないというダビデの信仰的な姿勢を、裏切り者は「アハハ、アハハ」(21節、25節)とあざ笑って命を狙って来るのでした。ダビデは、その中で「私の義」(27節)「あなたの義」(28節)と言って、神様への強い信頼をもって祈っています。つまり神様の「復讐は、私のすることである」という信仰の祈りをしているのです。

★この詩篇の最後で、ダビデは「私の舌は、あなたの義と、あなたの誉を日夜口ずさむでしょう」(28節)と結論しています。イエス様はヨハネ15章25節で、「これは『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と彼らの律法に書かれていることばが成就するためです。」と引用されています。イエス様はご自分の敵に、ご自分で復讐することなく、十字架の死に至るまで神様に任せられたのです。それは、人々の目には敗北に見えました。しかしその敗北に見える十字架を、現代でわかるように勝利の象徴にしてくださったのです。あなたも自分の敵と思える人に対して自分で復讐するのではなく、神様にお任せしましょう。そうする時、あなたの心は憎しみから守られるのです。

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