10月23日礼拝「八方ふさがりの時」

詩篇NO31「八方ふさがりの時」31篇9~14節

                        仁井田義政牧師

この詩人は、四方八方のふさがりを体験した人です。周り中が敵だらけで、11節を見ると親友にさえも裏切られ詩人の敵となってしまいました。まさに「四方八方」ふさがりの絶望的人生となってしまったのです。その中から、この詩人はいかにして立ち上がったのでしょうか。この詩篇はその大切なことを教え示しています。

★詩人は、多くの人に命を狙われていました。全ての人間的な道は閉ざされて、もう神に祈る以外に助かる道がないのです。しかも、命の危険が迫っていて、「早く、私を救い出してください」と祈っています。

★9~10節では、苦しみで全身全霊が弱り果ててしまっていることが記されています。その原因は、「私の咎によって」と告白しています。その結果、命を狙われる「八方ふさがり」の状態になってしまったと告白しています。

★その中で「しかし、主よ。」(14節)と祈りました。この詩篇の中で最も重要箇所です。たとえ、四方八方ふさがりの状態であっても、その原因が自分の「咎=罪」にあっても、「しかし、主よ。」と、神様に祈っているのです。まさに家族や親友が命を狙っていて、その原因が自分の「咎」にあろうとも「しかし、主よ」と、神様の赦しと愛に食いついて祈る祈りこそ、起死回生の一事なのです。

★それは19節に「あなたのいつくしみは、なんと大きいことでしょう」との洞察にあるのです。四方八方ふさがりの状況よりも、主のいつくしみ、つまり「私に対する神様の愛のほうが大きく、何倍も深いのだ」という、信仰の告白なのです。まさに私の罪の破壊力よりも、悔い改めて祈る者に対する神様の愛の方が強いのだと、信じて祈ることが大切なのです。

★イエス様は、ヨハネ16章33節で「この世では悩みがある、しかし勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」と言われました。たとえ現状が八方ふさがりに見えても、14節にあるように「しかし私は主に信頼します。私は告白します。あなたこそ私の神です」と、信仰の告白をしましょう。

問題を見て圧倒されてしまうのではなく、天の神様の愛と力を信じましょう。

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