10月16日礼拝「病気と主の癒し」

詩篇NO30「病気と主の癒し」30篇1~6節

                        仁井田義政牧師

 この詩篇は、作者が重い病気からどのようにして神様に癒して頂いたかが背景となっています。表題には「ダビデの賛歌。家をささげる歌」となっていますから、ダビデが病気から癒され健康になり、家を建てることができたことから「主への感謝の歌」と理解することができる詩篇かもしれません。そこには、病気から癒されるために大切なことが教えられています。

★ダビデは、病気の心当たりを「私が栄えた時に、私は決して揺るがされない」(6節)と、反省的に言っています。健康は普通のことではありません。病原菌が世界的規模で行き交う現代においては、なおさらのことです。健康は奇跡的なことなのです。神様の守りがあればこそです。

★ダビデは「栄えた時」の傲慢を、病気によって主に示され、即座にその罪を悔い改めました。すると「神様はその罪を赦し、死の病からすぐに私を癒してくださった」と言っています。神様は、私達が不信仰を悔い改めて祈ることを待っておられるのです。

★神様は、心と魂、体の癒し主です。その癒しの力を止めているのは「祈らない」傲慢の罪です。ダビデは、その傲慢が神様の癒しの力を堰き止めていたと言っています。ダビデはその罪に気が付いて、神様に悔い改めを祈ると、神様の癒しの力が堰を切って流れてきたのです。

★私は、福島県の田の多いいなか育ちです。田には水が必要です。しかし夏は、川の水が不足することがあります。そうしますと、水を田に入れる日を村の農家で決めるのです。田は干上がり、土はひび割れ、稲はみるみる健康を失っていきます。やがて水を入れる日がきます。その日の朝、その時間を農家の人は取水口で待っています。時間が来ると水を入れます。すぐにひび割れた田んぼに水が広がって行き、水を吸って稲も健康を取り戻します。

★神様の癒しの川は豊かです。取水口のゴミを取り除けば、神様の癒しはすぐにあなたの隅々にまで流れて行き、癒すのです。私達に癒しが必要なのは、病気だけではありません。家庭の経済も人間関係も、神様は癒してくださいます。癒しの御業は、主から流れて来るのです。ですからどんな時にも、主に癒しを求めて祈りましょう。

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