10月9日礼拝「栄光を主に帰せよ」

詩篇NO29「栄光を主に帰せよ」29篇1~11節

                        仁井田義政牧師

 今日の詩篇の主題は「栄光を主に帰せよ」です。栄光を主に帰するとは、わかりやすく言えば、「素晴らしいことは、全て神様のものです」と認めることです。私達は、ともすれば良いことはみんな自分の能力や力の結果として、人からもそれを認めて欲しいのです。それは、今日の詩篇と正反対の「自分に栄光を帰する」人の生き方です。真の神様を信じているクリスチャンの私達までもが、陥りやすい落とし穴なのです。

★この詩の1節に「力ある者の子らよ」とあります。新改訳聖書では神様を知らない権力者と取れますが、口語訳と新共同訳は「神の子ら」と訳して、信仰者への忠告となっています。しかしこの語は、両方にとれる言葉なのです。2節には「聖なる飾り物をつけて、主にひれ伏せ」とあります。礼拝への奨めであることがわかります。

★3節~9節の中で、ダビデは、自然現象の中に表わされる神の力を記しています。3節の「主は大水の上にいます」は、地球が最初は水に覆われていた(創世記1:1~2)ことを示しています。それを、南極と北極に氷として蓄え陸地が出来ました。しかし今は温暖化で溶け出し、海面上昇が始まりました。また「子牛のように跳ねさせる」や「大森林を裸にする」等の言葉は、地震や災害が起こることを記しています。

★主は全歴史を通して、永遠の王であられます。10節の「大洪水の時」は、創世記の水が覆っていた時か、ノアの洪水の時か、あるいは現代の世界の洪水かもしれません。神様は、全歴史のいかなる変動の時にも、その変動を超えて神であられるのです。そして「主はご自分の民に力を与え、平安と祝福」を与えて下さるのです。

★今日の詩篇のように、ダビデの時代は、雷鳴の中に神の偉大さを感じました。しかし、現代の私達には自然をはるかに超えた神の言葉が与えられたのです。それはイエス様 (ヨハネ1:1~5参照) です。イエス様は歴史の上におられる神の言葉なのです。

その御方から私達に祝福と恵みが注がれています。私達は、その御方に栄光をお返しする人となりましょう。

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