8月21日礼拝「エリ、エリ、レマサバクタニ」

詩篇NO22エリ、エリ、レマサバクタニ」22篇1~8節

                        仁井田義政牧師

 今日の詩篇は、31節からなる長い御言なので8節までを読んでいただきました。ダビデの詩篇の中で、これほど苦しみに満ちたものは他にありません。その苦しみは、ダビデから千年後、イエス様によって成就するのです。この22篇は、キリストの十字架の預言なのです。

★22篇の中心的な御言は、「わが神、わが神、どうして私をお捨てになったのですか」です。ヘブル語では「エリ、エリ、レマサバクタニ」であり、アラム語では、「エロイ、エロイ、ラマサバクタニ」です。ヘブル語ではマタイによる福音書に、アラム語ではマルコによる福音書に、イエス様の十字架上の言葉として記されています。「どうして」とは、「自分には神様に捨てられるような理由がひとつも見当たらないのに」との意味です。

★続いてダビデは「けれどもあなたは聖であられ」と記しました。「けれども」は、「私がなぜ神様から捨てられるのか全くわからないが」の意味です。悪い者には悪いことが起こり、良い者には良いことが起こる。という因果応報には当てはまらないということです。「けれどもあなたは聖であられる」。つまり神様がなさることには、何一つ間違いがないとの信仰の言葉なのです。

★続いて「犬どもが私の手足を引き裂き、私の着物をくじ引きにします」と記されています。「犬ども」とは、乱暴な者、愚かな者、異邦人をさす言葉です。文字通りイエス様の十字架の下では、ローマの兵隊がイエス様の着物をくじ引きで奪い合いました。そのような人々の手によって、イエス様は十字架の上で処刑されたのです。

★さらにダビデは、苦難の後に全世界は主を賛美するようになり、その規模は、地の果てにまで及ぶと記しました。このようなことは、キリストの十字架と、その後のキリスト教会を抜きには考えられません。この詩篇の預言のように、現代ではキリストは世界中で賛美されているのです。

★キリストは十字架の上で「エリ、エリ、レマサバクタニ」と叫ばれました。イエス様に全く罪が無かったのに、私達の罪の身代わりとなって十字架つけられたのです。ですからイエス様の十字架の救いを信じる者は、直ちに全ての罪が赦されるのです。それゆえに私達は、イエス様を礼拝し賛美するのです。今日も私達の救い主イエス様を心から賛美し礼拝しましょう。

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