7月3日礼拝「礼拝者への神の祝福」

詩篇NO15 「礼拝者への神の祝福」 15篇1~5節

                      仁井田義政 牧師

この詩篇は、礼拝者の詩篇と言われています。ダビデの時代に、エルサレムの幕屋に礼拝に来た人が、幕屋に入る前に「主よ、どのような人が、神の幕屋に入って礼拝するにふさわしいですか」と、大きな声で問うのが習わしとなっていました。すると天幕の中から、祭司の声が「礼拝者にふさわしい人は、このような人ですよ」と、礼拝者にとって大切な言葉が答えとして返ってきました。それが詩篇15篇なのです。私達も、どのような人が礼拝者としてふさわしいかを見ていきましょう。
★1節に「幕屋に宿る」という言葉が出てきます。それは、砂漠に住む人々が、住居(天幕)に訪れた旅人を徹底してもてなしたことに起因します。そうしないと、旅人が砂漠地帯で死んでしまう危険性があったからです。それは自分達も、砂漠の旅や仕事で天幕に寄った時に、同じようにして頂かないと死んでしまうからです。神様は、イスラエルの人々が出エジプトの荒野での40年間、神の幕屋で祈る人達を徹底してもてなして下さいました。

★幕屋の入口で、礼拝者が「どのような人が神様の天幕に入る人としてふさわしいですか」と呼びかけると、天幕の中から「それは、正しく歩み…嘘のない人。信仰の仲間に対してそしらず、敵意を持たない人…です」という声が聞こえてきました。

★それでは、このような罪のない完璧な人しか神の家の幕屋(教会)で礼拝が出来ないのでしょうか。幕屋に入ると、幕屋の庭に直ぐに祭壇ありました。その祭壇で犠牲を捧げ、罪の赦しをお願いしたのです。つまり、罪の赦しを受けて礼拝したのです。新約時代になりますと、イエス様が私達の罪の為に十字架に犠牲として捧げられました。そのことによって、私達は神の幕屋、「教会」で礼拝を捧げ、神様の祝福を受けることが出来るのです。

★砂漠で生活していた人々が、自分の住まいである幕屋を訪れた人を徹底してもてなし、料理を振る舞ったように、神の幕屋「教会」に、礼拝に来る人達を、神様は徹底して恵みと祝福でもてなして下さるのです。礼拝する人には、神様の祝福が豊かに注がれます。そのことを信じて、15篇の巡礼者のように礼拝を大切にし、集いましょう。

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