6月26日「愚か者の愚かさ」

詩篇NO14 「愚か者の愚かさ」14篇1~7節

         仁井田義政 牧師

 今日の御言には、神様の目から見た愚かさが書かれています。本当の愚かさは「神はいない」と言うことだとはっきりと言っています。

★神がいないとすれば、私達の生まれるのも死ぬのも、偶然の出来事になってしまいます。なぜなら私達は、自分の意志で生まれたのでもなく、自分の意志で死ぬのでもないからです。初めと終わりが偶然なのに、どうしてその真ん中の人生に意味があるでしょうか。刹那的で不安な人生となってしまうのです。

★「心の中で神はいないと言っている」とは、神を信じていると言っている人でも「心の中で神はいないと言っている」という意味です。そのようなことは可能なのでしょうか。それは可能です。イエス様はパリサイ人・律法学者達を「白く塗った墓」と叱責されました。彼らは「私達は誰よりも神を信じている」と公言する人達でした。ですからクリスチャンも気をつけなければなりません。

★4~5節は、出エジプト記にあるイスラエルの奴隷の姿を背景にしていると言われています。そこには、神の民を奴隷として食い物にしていたエジプトのパロ王がいました。彼は、力こそ善だと神の民を奴隷として支配したのです。しかし、神は正しい人(真の神を信じる人)と共にいて下さいました。エジプトの王は「神はいない」と言っていましたが、主が神様を信じるヘブル人の「避けどころ」であったのです。

★今日の詩篇で、ダビデは回復の時を祈りました。それは真の神への信仰の回復です。シオンはエルサレムのことです。そしてこの祈りの通り、キリストの救いはエルサレムから始まったのです。そして今、私達の所まで伝えられ、私達は今まで「神はいない」と言っていた愚かな生活に終止符を打ってクリスチャンになったのです。私達は、偶然に生まれて来たのではありません。また死ぬのも、何の目的もなく死ぬのではありません。天国に迎えられるために死ぬのです。生まれるのも、生きるのも、そうして死ぬのも、神様の愛が満ちているという人生に変えられたのです。そのことに感謝して、心から主の御名をほめたたえ、讃美しましょう。

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