5月29日「山に向かうか、宮に向かうか」

詩篇NO11「山に向かうか、宮に向かうか」11篇1~7節

         仁井田義政 牧師

 今日の11篇もダビデの詩です。ここでもダビデは敵に命が狙われています。敵に命を狙われる場面で、ダビデの生涯中に最も当てはまるのは、サウル王に命を狙われた時でしょう。ダビデには友人達もいました。その友人達が、ダビデに山に逃げるようにと助言しました。ダビデは、その助言に従うべきかどうかの選択を迫られました。私達クリスチャンにも、人生は常に選択であることを印象付けられる詩篇です。

★友人達の助言は、「鳥のように山に飛んで行け」というものでした。しかもダビデの「魂」に言うのでした。それは、友人として善意からの助言でした。「お前たちの山」は、まだ敵の手が回っておらず、ダビデが自由に行動出来る所を意味しています。「鳥のように飛んで行け」は、ダビデにすぐにでも出来る行動であり、安全確保の道でした。

★しかし1節にあるように、ダビデの信仰は最初から「主に私は身を避ける」と決まっていました。ダビデは、友人達の魂に語り掛ける善意の言葉にも、動くことはありませんでした。それは、「主に身を避ける」と、はっきりとした信仰の選択を持っていたからです。私達日本人は、そこが弱いと言われています。

★ダビデは、悪しき者が暴虐の限りを尽くしても、必ず正しい者が勝つことが出来ると確信していました。その証拠として、ダビデは、創世記のソドムとゴモラ滅亡の事件を取り上げています。イエス様は、十字架の死が待つエルサレムに向かわれる時、弟子のペテロから「エルサレムに行き、私は死ななければならない等と言ってはいけません」と助言されました。それは、ペテロがイエス様を愛するがゆえの助言でした。しかしそれに対してイエス様は、「サタンよ、引き下がれ」と激しく退けました。(マタイ16:23)

★私達にも「神の御言に従うか、人の助言に従うか」の選択が常に求められています。そのような時に気を付けないと、私達は人の助言を聞いてしまいやすいのです。神様の御言に背を向けて、鳥のようにバタバタと山に逃げてしまうのです。しかしそのような時に、神の宮(4節)教会に向かおうではありませんか。

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