5月1日礼拝「誤解され心痛み悩む時」7篇1~5節

詩篇NO7「誤解され心痛み悩む時」7篇1~5節

         仁井田義政 牧師

今日は、誤解の中で苦しむダビデの詩です。私達が生きている世界では、身に覚えのないことで憎まれたり、悪口を言われたりすることがあります。私達も誤解されれば深く傷つきます。そういう意味で、今日の詩篇も私達とつながりがあります。

★ダビデは、4節にあるように「親しい友」から誤解を受け、憎まれ命まで狙われています。おそらくサウル王であろうと考えられています。誤解されることは苦しいことです。

★ダビデは「私が言われているような事をしたのなら、どうぞ私を敵の手で殺して下さい。彼から何も奪ったことはないし、不正なことをしたこともありません。私は彼に誠実に接してきました」と祈っています。神様は善と悪をはっきりとして下さる御方。私の正しさを神様が一番知っておられるはずと言っています。誤解されることは、それほど辛いことなのです。                                        

★人に誤解され、身に覚えのないことで誹謗中傷される時に、私達は激高し、怒りが火山のように爆発し噴出するのを感じます。しかし、ダビデはその人に仕返しをするのではなく、神様の裁きにお委ねする祈りをするのです。(14~16節)神様以外に力と正義に満ちた御方は、他にいません。ですからダビデは、「いと高き方」と神様の名を褒めたたえるのです。

★この詩の背景は、彼の友人がタビデの命を取る為に、怒りに満ちて軍隊を連れダビデに迫ってきている状況です。おそらくダビデは「それは誤解だ」と何度も説明をしたと思われます。しかし友人は聞き入れません。私達も親しい友に裏切られて苦しむ時があります。その苦しみが憎しみとなって、復讐心に捕らわれてはならないのです。悩み苦しみに心を満たしてしまって、心が病むような状態になってはならないのです。正しい祈りは、必ず終わりに神様の完全なお取扱いを確信し、怒りを納めるのです。

★イエス様ほど誤解された御方はいません。それでもイエス様は「我が霊を御手にゆだねます」と祈られました。ダビデも、「私はあなたのもとに身を避けました」と祈りました。自分で仕返しをするのではなく、神様に委ねたのです。私達も人々から誤解され苦しむ時に、十字架の上で誤解の苦しみを体験されたイエス様のように、またダビデのように、神様にそのことを知って頂き、神様の判断を求めて祈ろうではありませんか。

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