4月24日礼拝「一緒に歩いて下さっていたイエス様」

メッセージ「一緒に歩いて下さっていたイエス様」ルカ24章13~17節

          仁井田義政 牧師

今日の御言は、イエス様が復活された日の午後の出来事です。すでに弟子達は、マグダラのマリヤから「イエス様は復活された」と聞いています。しかしマグダラのマリヤのその知らせを、弟子達の誰一人として信じる人はいませんでした。

★十二弟子達は、マグダラのマリヤから知らせを聞いても、信じることが出来ずに失望したままでした。十二弟子ではない二人の弟子は、イエス様に見切りをつけて生まれ故郷に帰っていく途中でした。イエス様がローマからイスラエルを独立させ、同胞たちを圧政から解放して自由にしてくださるという夢は、十字架で完全に敗れ去ってしまったのです。十字架は、敵国ローマの極刑で不名誉極まりない最もイスラエル人が忌み嫌う処刑でした。二人は夢破れ、危険なエルサレムを離れて故郷に帰る途中だったのです。

★イエス様は、その二人の弟子の道中に現われ、一緒に話しながら道を歩いて下さいました。それは、彼らが深く悲しんでいる人達だったからです。イエス様は、悲しみにある人を決して見過されることはありません。しかし二人は、一緒に歩いて下さっているイエス様を知ることが出来ませんでした。死んだ人が甦るなど、あるはずがないと思い込んでいたからです。

★エマオの村に入り、二人の弟子はイエス様を旅人だと思って、自分達の家に招きました。夕食の準備ができ、食事の祈りになった時です。その旅人がパンを祝福し、分け始めたのです。通常は、一家の主人がパンを裂いて分けるのです。弟子達は、非常識なその旅人を目を凝らして見ました。するとその旅人は、イエス様だったのです。弟子達がその御方が復活のイエス様だと分かった時、イエス様の姿がスーッと消えてしまいました。今までの失望の道を、イエス様が一緒に歩いて来て下さったことを知ったからです。

★私達の世界にも、イエス様は十字架で殺された人、私達の人生には何ら関係のない人と思っている人が多くいるでしょう。失望や悲しみにある時などはなおさらです。しかしイエス様は「悲しむ人は幸いです。彼らは慰められるからです」(マタイ5:4)と言っておられます。また「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたと共にいます。」(マタイ28:20)と約束して下さっています。イエス様は、私達の人生を一緒に歩いて下さっています。今日、復活のイエス様を信じる者になりましょう。

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