4月10日受難週「孤独者イエスの勝利」

受難週メッセージ「孤独者イエスの勝利」ヨハネ16章32節~33節

          仁井田義政 牧師

 今日から受難週です。イスラエル最大の祭である「過越しの祭」の日に、イエス様と弟子達は、エルサレムの部屋で夕食の時を持ちました。

★イエス様は、その時に弟子達の全てが自分を見捨てることを知っておられました。しかもそれが数時間後に起こるのです。食後イエス様がゲッセマネの園に弟子達を連れて行き、「起きていて私の為に祈っていなさい」と弟子達に祈りを依頼しました。しかし弟子達はイエス様の心が分からず、眠ってしまいました。その時、弟子のユダに導かれたローマ兵がゲッセマネの園に登ってきました。すると弟子達の全てが、イエス様を残して逃げ去ってしまったのです。しかしイエス様は、これから起こることを全て知っておられました。

★イエス様は、今日の御言で「わたしをひとり残す時が来ます。いやすでに来ています。しかし、わたしはひとりではありません。父がわたしといっしょにおられるからです。」(16:32)と言われました。私達から見れば、イエス様は弟子達に捨てられ孤独者となったのです。しかしイエス様は、私は孤独者となったが孤独ではないと言われたのです。ここに「逆説」が起こったのです。それは、私は父なる神と共にいるというイエス様の確信でした。イエス様は、十字架につくことが全世界の人々を救うことだと確信しておられたからです。そのことは、ヨハネ12章32~33節に記されています。まさにイエス様は、孤独に見えましたが孤独ではありませんでした。イエス様は強い勝利者であったのです。

★イエス様が私は孤独となったが孤独ではないと言われた後に、その話の目的を話されました。それは「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を保つためです」(33節)との御言です。そして「この世にあっては患難があります。しかし勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」と続けて話されました。それは、あなたがたも私を信じれば、孤独の中でも平安を得て勝利者となるのですという言葉なのです。私も19歳の時にイエス様の受難と十字架の意味を知りました。そのことを知った時に、私の心に平安が訪れました。生きる勇気が湧いてきました。イエス様の受難は、私達に平安と勝利を与えます。今週は受難週です。「孤独者イエスの勝利」を思いながら、一週間を過ごしましょう。

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