4月3日礼拝「絶望の中での祈り」

詩篇講解(NO.6)「絶望の中での祈り」6篇1~10節

          仁井田義政 牧師

 今日から会堂での礼拝を再開できますことを感謝いたします。

さて私達の人生には、絶望してしまうような暗い夜を過ごさなければならないことがあります。詩篇6篇の作者ダビデは、まさにそのような絶望的な夜を迎えていました。その夜ダビデは自分の生き方を振り返り、神様の前に悔い改めの祈りをしたのです。

★ダビデは病気でした。「この病気は自分の罪の結果」だと、思っていたのです。このような時に人間は、さらに不信仰になるか、それをとも今までの歩みを振り返り、罪を悔い改めて、さらに信仰へと進むかのどちらかなのです。ダビデは2節で「主よ、あわれんでください」と、神様の赦しを求める信仰へと進みました。

★ダビデの病気は、非常に重かったようです。「衰え。骨は恐れ。たましいは恐れおののき」(2-3節)とその苦痛を記しています。「骨は恐れ」とは、激しい痛みと、精神的苦痛が読み取れます。ダビデは、悔い改めを病気で伏すベッドの上で涙を流して祈りました。しかも「夜ごとに」(6節)と記されているように、その病気は長期にわたるものでした。ダビデは夜ごとにベッドが涙で溢れるほど祈り、寝室が涙で流れてしまう程に悔い改めの祈りをしたというのです。

★ダビデが病気になったことを喜ぶ人達もいました。「私の目は、いらだちで衰え、私のすべての敵のために弱まりました。」(7節)と記しています。8節で「不法を行なう者ども。みな私から離れて行け。主は私の泣く声を聞かれたのだ」と言っています。「不法を行なう者」とは、異教徒のことです。ダビデの敵達は、ダビデは神を信じていると言うが、その神はダビデを守れなかったか、ダビデの罪を罰して殺そうとしているのだと言っていたのです。しかし祈りの中で、神様が祈りを聞いて下さったと確信したダビデは「私の敵は瞬く間に恥を見る」(10節)と確信したのです。

★病気の時には、自分の今までの信仰の在り方を振り返って祈るべきです。元気な時には気付かなかったことが示されるものです。ダビデはその示されたことを悔い改め、涙を流して祈ったのです。そのような祈りをすればこそ「主は私の切なる祈りを聞かれた」と確信することが出来るのです。私達も、このような深い祈りの出来るクリスチャンになりましょう。

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