3月13日「苦難の中でも平安に生きる」

詩篇講解(NO.3)「苦難の中でも平安に生きる」3篇1~8節

          仁井田義政 牧師

今日の詩篇の表題は、ダビデが我が子アブシャロムに王位を狙われた時のものです。アブシャロムは、「自分が父親の跡を継いで王となるのに最もふさわしい」と思っていました。しかしダビデは、ソロモンを王にしようとしていました。その事に怒ったアブシャロムは、ダビデを殺そうとして仲間を集め、勝手に「私が王である」と宣言し、父ダビデに反逆しました。その事は、第二サムエル記17章~18章に記されています。

★アブシャロムは「私が王になったら、お前達の願いを全部聞き入れてやる」と言って、多くの人々を味方につけました。その事はダビデの耳にも入ってきました。それは「ダビデには神の救いはない」という言葉でした。

★しかしダビデは、人が私を何と言おうと「あなた(神様)は私の回りを囲む楯、そして私のかしらを高くあげて下さる方です」と信仰の告白をしたのです。そのかげには、何度も敵の攻撃や批判に疲れうなだれる夜もあったでしょう。そのような時にも神様に祈ると、遠く離れたエルサレムから神様は応えて下さると言うのです。それが「主に呼ばわると聖なる山から答えて下さる」と言うのです。

★その数を増してきた敵の圧迫を受けながらも、夜眠ることが出来る。そして「また私は目を覚ます」と記しています。その「また」とは、いつもという意味です。一日や二日の苦難ではなかったことを示しています。朝に目を覚ましたタビデは、祈りの中で「私を取り囲んでいる幾万の民をも私は恐れない」と確信します。そして「主よ!立ち上がって下さい」と祈りました。戦いの勝利は、人の多いことによらないからです。激しい戦いに勝利を与え、窮地から救い出して下さるのは主だからです。まさに「救いは主にあり」です。この確信こそ、信仰者に大切なのです。

★ダビデはそのような時でさえも「あなたの祝福が、あなたの民の上にありますように」と、王としてのとりなしの祈りを忘れませんでした。詩篇は、文学ではありません。信仰の戦いの言葉なのです。ですから私達の信仰生活の模範となるのです。私達もダビデのように、いわれのないことで苦しみ悩むこともあるでしょう。しかし私達も、ダビデのように神様を信頼すれば「苦しみの中でさえも平安」に生きることが出来るのです。ダビデに倣って、私達も主に信頼する信仰者になれるよう祈りましょう。

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