1月9日礼拝メッセージ

コロサイ書講解(NO.14)「上にあるものを求めなさい」3章1~8節

                    仁井田義政牧師

新年も第二週となり、コロサイ書からのメッセージに戻ってきました。今日の御言は、新年の御言にふさわしい「上にあるものを求めなさい」です。それは、「上から与えられるもの」を求めなさいとのクリスチャンにとって大切な教えです。

★「キリストと共によみがえらされた」とは、洗礼のことです。古い自分は死んで、新しい命によみがえったのです。また「上にあるもの」とは、啓示によって与えられた聖い道徳のことです。地上の人間からの道徳ではありません。「上にあるものを求める」ことこそ、人間なのです。ギリシャ語の人間は、アンソロ―ポス「上を見るもの」という意味でもあるのです。

★しかし、私達は地上に生きています。地上に生きているから、地上のものに心が引かれるのです。そしてその地上の力は強いのです。その地上の力とは、「不品行、汚れ、情欲、悪い欲」のむさぼりなのです。むさぼりとは、際限のない欲望に生きることです。それらから信仰心を守るためには、上にあるものを求め、天にあるものを思い続ける必要があるのです。その為に祈りがあり、日曜日ごとの礼拝があり、各集会があります。ですからこれらを大切にしましょう。

★かつての汚れた生活から救いに与かったのに、再度汚れたこの世の生き方に戻れば、神の怒りがくだると記されています。しかし旧約時代のように、即座に裁かれることを現代では見ることが出来ません。それは、キリストによってもたらされた神の忍耐の時代だからです。悔い改めて信仰に戻るように、神は忍耐して待っておられるのです。しかしそれでも、地上の欲に生き続ければ、必ず後に「神の怒り」が裁きとなって臨むのです。

★神の怒りが下るという考えは、一般的に受け入れられないことかも知れません。クリスチャンの中にさえ受け入れていない人がいるのではないでしょうか。罪に対して、不信仰に対して、旧約時代のように即座に裁きが臨まないからです。イエス様が祈られた「彼らは何をしているのか分からないのです」という十字架上の祈りの時代なのです。しかし神の怒りは必ず望むのです。私達は、天にあるものを第一に求め続けるクリスチャンとなりましょう。

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