12月12日礼拝 待降節3「キリストと共に」

コロサイ書講解(NO13)待降節3「キリストと共に」2章20~23節

                       仁井田義政牧師

アドベント第三週に入りました。来週はいよいよクリスマス礼拝です。今週もイエス様をお迎えするために私達の信仰を整えたいと思います。

★先週もお話しましたように、コロサイの町には多くの宗教が林立していました。各宗教には長い歴史があり、大きな会堂や神殿を持っていました。そこに、小さなキリストの教会があったのです。教会と言っても会堂もなく、一般の家の教会でした。

★そのような中で、せっかくクリスチャンになった人達が異端に引き込まれたり、異教に逆戻りすることになれば、教会にとって大きな痛みとなりました。しかしコロサイの教会には、パウロを使徒と認めずにパウロの伝える福音に反対し、異端や異教の教えに逆戻りする人がいたのです。

★先週も話したことですが、今日の御言にも、異端や異教に修行や苦行が多いことが記されています。修行と言って、一般の人間には出来ないような難行・苦行をして見せるのです。日本にも一般家庭を訪問し「すみません。修行ですからトイレの掃除をさせて下さい。」と言って回る宗教まであります。そのような見せかけの行ないに騙されてはならないと教えています。

★今日の聖書の2章20節に「キリストと共に死んで」という言葉があります。その御言は、キリストの十字架での死が前提となっています。さらに、キリストの十字架の死と共に、異教的な習慣に生きていた古い自分を十字架につけて殺してしまったことを意味しています。それなのに不信仰になるということは、古い自分に死に切っていない証拠なのです。

★キリストは、私達の罪を十字架につけて殺してしまうために来られました。キリストを信じると言うことは、私達の古い生き方を完全に十字架につけて殺してしまうことなのです。それなのに再び古い生き方に戻ってしまうのは、その人は古いままの人であり、異教や異端に騙されたままの生活をしていることになるのです。イエス様は、ご自分の死によって、それらの束縛から私達を自由にするために来て下さいました。

来週はクリスマス礼拝です。私達は信仰と霊性を聖くされ、アドベントの最後の週を過ごしましょう。そして来週のクリスマス礼拝に集いましょう。

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