11月21日礼拝「私の内には主の力が満ちている。」

コロサイ書講解(NO.10)「私の内には主の力が満ちている」2章8~10節

                            仁井田義政牧師

 今日の御言で、パウロは「空しいだましごとの哲学によって誰のとりこにもならぬよう注意しなさい」と教えています。これは私達が注意しなければならないことなのです。二千年前と二十一世紀の現代の私達を取り巻く幼稚な教えは、何ひとつ変わっていません。

★パウロは「あのむなしいだましごとの哲学によって、誰のとりこにもならぬよう注意しなさい」と教えています。これはデカルトやカントやヘーゲルなどの一般的な哲学を言っているのではありません。当時の社会に広がっていた星占いの類なのです。一般大衆から王様や皇帝まで、星占いを信じていました。星の拡がる宇宙に霊的な力があると信じていたのです。現代の私達の社会は、どうでしょうか。星占いから臍占いまで、霊力があると公共のテレビまで情報をたれ流しているのです。

★パウロは「だれのとりこにもならないように気を付けなさい」と教えています。「とりこ」と言う原語は「誘拐」と言う意味です。パワースポット、パワーストーンなど幼稚なものならまだ笑えますが、占いや間違った宗教は狂気を生むのです。統一教会は、その日まで相手が誰であるかも分からない結婚式を行なっているのです。ものみの塔は、輸血を禁じ、大学に進もうとする信者を軽蔑するのです。しつけと言って幼児虐待をする団体です。そのような教えのとりこにされてはならないのです。

★イエス様には、神様の全ての良きご性質が満ち溢れています。それを信じている私達にも、全てが満ち満ちているのです。神様を知りたければ、キリストを見れば良いのです。力をいただきたければ、キリストに祈れば良いのです。そして信じるあなたの内にも、満ち満ちているのです。キリストこそ、全ての支配と権威の頭なのです。それは全宇宙、全歴史の上に君臨される神なのです。

★二千年前の人々と現代の私達を取り巻く社会とは、何も変わっていません。私達には、そのような幼稚な教えやだましごとの哲学は必要ありません。私達の内にはイエス様の力が満ち溢れているからです。「私には幼稚な哲学などいりません。イエス様の力が満ちていますから」と告白し、祈りましょう。

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