コロサイ書講解(NO7)「キリストにある成人」1章26~29節
仁井田義政牧師
今日の御言1章28節の中に「全ての人を、キリストにある成人として立たせるためである」と言う言葉があります。キリストにある成人とは、どのような人を言うのでしょうか。そのことを知って、私達はキリストにある成人つまり大人となりたいと思います。
★キリストにある大人になる第一は、「隠されていた奥義を知る」ことです。今日の御言に「この奥義は多くの世代にわたって隠されていた」と記されています。それは、神様が全ての人を救われるという真理のことです。ユダヤ人だけが神の民であると信じてきたユダヤ人には、その真理が隠されていたのです。またこの奥義は、異邦人にも隠されていました。あれはユダヤ教の神だと思っていたからです。異端のグノーシスにも、その奥義は隠されていました。救いに与るためには、深い知識が必要であると信じていたからです。
★キリストにある大人になる第二は、キリストの内在を信じることです。
パウロは、特別な人にキリストが宿るのではなく、信じる全ての人に宿るということを教えました。一般社会では、優れた人に真理が分かると考えられています。最近、反田恭平さん(27歳)がショパンピアノコンクールで、世界第二位になられたと大反響を呼びました。日本では、優勝者の名前が消えてしまっていますが、カナダのブルース・リュウさんでした。リュウさんには、ショパンの心が一番宿っていたということなのでしょう。しかしイエス様は、そのような特別な人にではなく、誰にでも宿って下さるのです。
★キリストにある大人になる第三は、キリストの力を信じることです。 パウロもまた「自分の内に力強く働くキリストの力」を体験しながら、労苦、奮闘しながら伝道してきたと記しています。自分はどのような者であっても、キリストが私の内に生きておられると信じて、どんな時にもキリストに祈る。その時キリストの御業が現れると信じる人です。
★今までの私の50年に亘るクリスチャン生活の中でも、私の中に生きておられるイエス様は、祈りに答えて数々の奇跡的な御業を行なって下さいました。私達も「力に満ちたイエス様が、私の内におられる」との信仰に立ち、キリストにある成人となろうではありませんか。