仁井田義政 牧師 / 仁井田 幸子 副牧師

主から与えられた使命

溝のロキリスト教会牧師  仁井田義政

使命とは「命を使う」と書く。誰でもそうであろうが、私の青少年時代は「私の人生には命を使う程の目的があるのだろうか」と問いかける日々であった。両親の離婚、七歳の時の母親の死、そして母親の死後引き取られた父親の虐待、またその家での極貧生活。そのような中で、人生に意味があるのだろうかと考え続けた。その答えは「私に生きる意味などないのだ」という苦しい絶望であった。

転機が訪れたのは、十九歳の正月であった。友人が、キリスト教の伝道所に誘ってくれたのである。伝道所から帰ったその日の夜中に、神様との決定的な出会いをしたのである。それは新しい父親 (神様)の発見と、虐待した父親への憎しみからの解放の時であった。その夜、父なる神の温かさに包まれながら咽び泣いた。それから聖書の爆読みを開始し、三ヶ月で通読した。三ヶ月目の頃には、キリストの十字架の意味も分かり、自分を愛して下さっているキリストの偉大な愛に身も魂も震えた。そして「私の為に命をかけて下さったイエス様、私もあなたの為に何でもします。あなたが私に、もし死ねと言われるならば死にます」と祈っていた。その時にイエス様の「牧師になりなさい」との声が聞こえてきた。私は耳を疑い戸惑った。それは、私が人の前で話をすることが最大の苦手だったからである。打ち消せば打ち消す程さらに迫ってくる「牧師になりなさい」との主の声に悩まされた。その年の全国聖会で、ついにその声に降参したのであった。その時の講師であった教団総理・弓山喜代馬先生の話された「万軍の主は仰せられる、これは権勢によらず、能力によらず、わたしの霊によるのである。」(ゼカリヤ書4章6節)の御言が、心臓を貰く銃弾のように迫ってきたのである。

そのことによって、牧師になることがイエス様からの使命と受け止め、四年後に神学校に人学した。どんなことがあっても、イエス様の使命に生きると決心した選択に迷いはなかった。神学校の全ての費用は、学校の夏休みと冬休みに横浜港の荷揚げで稼いだ。そして卒業と同時に関口幸子師と結婚し、神様以外には誰にも世話にならない会員ゼロからの自主開拓を開始した。最初の数年は私が会社に勤め、その後の長い間は幸子師が教会で保育の仕事をして経済を支えてくれた。

そして幸いにも開拓三年後に、第一回目の教会堂の献堂を行なうことが出来た。それからさらに十二年後、第二回目の現在の教会堂を献堂した。さらには長年の念願でもあった教会の納骨堂も、献堂することが出来た。そして多摩ヒルサイドチャ ーチが峯岸邦子師の神学校卒業によって、溝の口教会の株分け教会として出発し、会堂を献堂することも出来た。感謝なことである。四十年の教会の活動を通して、信徒達も多く与えられて 現在に至っている。

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