Daily Archives: 2019年1月13日

(1月13日礼拝メッセージ)「弟子達は理解できなかった」

(礼拝メッセージ)「弟子達は理解できなかった」マルコ9章30~37節

                                                                      仁井田義政牧師

 クリスマスで中断していましたマルコによる福音書の講解メッセージを本日より再開します。2017年8月27日より開始されたマルコによる福音書講解メッセージは今回が47回目で、内容はイエス様の御生涯の終わりの部分に入っています。イエス様は、弟子達にご自分の十字架の死の意味を伝えました。

★イエス様は、今までと違っていました。今まで四千人、五千人と多くの人々を対象に福音を伝えてこられました。今は全く違いました。本拠地としていたガリラヤを通られたのに「人々に知られたくない」と、その人々に会うのを避けられたことが記されています。それは、これから十字架に向かうエルサレムへの道で、十字架の意味を弟子達に伝えるために、時間を取りたかったからだったと思われます。イエス様は、その旅路で幾度も十字架の真理を話されました。

★イエス様は既に8章31節で、弟子達にご自分の十字架の死の意味について話されました。そして今日の部分でも、十字架の意味を明確に話されているのに、弟子達は理解できませんでした。知恵の不足ではなく、明確に聞くのを「恐れていた」(32節)のです。弟子達にとって、自分の立身出世のためには、イエス様の死は都合が悪く、言ってほしくない「怖い」話だったのです。

★イエス様は「お座りになられて」、十二弟子達に話されたことが記されています。「お座りになる」とは、聖書時代の重大な教えをなさる時の正式な姿勢です。弟子達は「誰が一番偉いか」誰が十二人の中でリーダーなのかという話で盛り上がっていました。その弟子達にイエス様は「道を歩きながら何を話していたのか」と質問しましたが、弟子達は答えませんでした。

★イエス様は立ち上がられ、子供の手を引いて連れてきて、弟子達の真ん中に立たせました。そして、弟子達の間で自分を偉いと人に認めさせたい、権力を行使したいと思う者は、私の弟子としてふさわしくない、むしろこの一人の子供を私の名のゆえに受け入れる人こそ、私を受け入れるのです」と教えられました。弟子達にとって子供など何の価値もない小さな存在だったのです。弟子達に上に立ちたいと思うならば、価値のないと思われているものを大切にする者となれと教えられたのです。

★イエス様が十字架に向かわれる大切な道で、弟子達は立身出世の事ばかりに心を奪われていました。私達もイエス様の弟子です。それなのにイエス様の最も大切な教えが耳に入らないとしたらそれ以上悲しいことがあるでしょうか。私達は、聖書の中で一番聞きたくない言葉をしっかりと聞く年としましょう。