Monthly Archives: 9月 2018

9月30日礼拝メッセージ「奇跡とイエス様」

(マルコNO39) 「奇跡とイエス様」8章1-13節

                                                    仁井田義政 牧師

 今日の御言は、七つのパンで四千人以上の人々に食事を与えたというイエス様の奇跡が記されているところです。このようなパンの奇跡は、6章34節からの聖書にもあります。6章の五つのパンの奇跡と比べてみると、全く状況が違うのです。なぜイエス様はパンの奇跡を二度も行なわれたのでしょうか。それは、人々の為にその奇跡が必要だったからです。

★今日の箇所の荒野は、6章34節から出て来る荒野よりも厳しい状況でした。6章は弟子がイエス様に語りかけましたが、今日の箇所では、イエス様が弟子達に語りかけられたと記されています。6章は夕食一食のことでしたが、今回は三日も食べ物がなかったと記されています。6章は雨季の青草の上に座りましたが、今回は乾燥の季節で土の上に座っています。6章は近くに集落がありましたが、今回は全く人間の住んでいる気配のない荒野で、「空腹のまま帰らせたら途中で動けなくなる」という厳しい状況でした。

★イエス様がパンの奇跡を行なわれたのは、自分をひけらかし誇示する為ではありませんでした。三日間もイエス様の話を聞き続け求め続けた人達に「食べる物がなかったので、可哀想に思い」という純粋な心からです。「可哀想に」は、内臓が痛むという意味の強い言葉です。イエス様は、イエス様を信じる者が苦しんでいる時、内臓が痛むほどに心配して下さるのです。その結果、奇跡が起こるのです。

★その噂を聞きつけたと思われるパリサイ人が、イエスを試そうとして議論を仕掛けてきました。「パンの奇跡を聞いたぞ。それは本当なのか。あなたが救い主なら私の前でも奇跡を行なって見せろ」とイエス様を試そうとしたのです。つまり「奇跡を行なって見せたら信じよう」との上から目線なのです。イエス様はその挑戦的な言動に「深く嘆息」されました。

★「奇跡を行なって見せて下さったらあなたを信じましょう」などという願いに、イエス様はお応えになられません。パリサイ人は自分の方からイエス様の所に来たのに「イエスは彼らを離れて、また舟に乗って向こう岸へ行かれた」というのです。イエス様は信じる者には豊かに恵みを注がれます。余ったパンが七つの籠にいっぱいになったと記されています。恵みに満ち溢れたイエス様を信じ、イエス様の豊かな恵みの中に生きましょう。

9月23日礼拝メッセージ「この人のなさったことはみな素晴らしい」

(マルコNO38)「この人のなさったことはみな素晴らしい」7:31-37

                                                        仁井田義政牧師

 二週留守にしましたが、祝福された礼拝とコンサートであったと聞いています。良い礼拝になるかどうかは、聞く耳を持った会衆であるかどうかが大切です。今日の聖書の箇所ではそのことが伝わってきます。

★イエス様はガリラヤ湖の近くに戻って来られました。しかし地図で見ますと、なぜこんな遠回りをしてデカポリスに行かれたのかという疑問が残ります。デカポリスは「十の町」の意味であり、ここも外国です。ガリラヤ湖の近くですが、異邦人の入植地なのです。ユダヤ人から見たら汚れた豚を飼う町であり、5章に出て来るゲラサ人の地なのです。

★その地で、人々が耳と言葉の不自由な人をイエス様の所に連れてきて、この人に「手を置いて祈ってくださるように」お願いしました。するとイエス様は「耳に手を差し入れ、自分のつばを手にしてその人の舌につけて」祈られました。人々が「手を置いて」と願ったことを超えて、その人の閉塞に触れて下さったのです。

★私達人間にとって、コミュニケーションが取れないことは大きな苦しみです。罪の為との迷信が信じられている社会ではなおさらのことです。その祈りの時に、イエス様が「深いため息」をつかれた(34節)ことが記されています。それは、その人の苦悩の人生への同情を示しています。そしてアラム語で「エパタ=開け」と言われたのです。するとすぐに、その人はコミュニケーションが取れるようになりました。

★聖書は、デカポリスの人々が「この人のなさったことはみな素晴らしい」と言ったと記しています。イエス様は、この最も美しい信仰の言葉を異邦人から引き出しているのです。

★あなたも、自分自身の中にあるいは家族の中に、何らかの閉されたものがあり不自由があるのではないでしょうか。イエス様はあなたの苦しみに同情し、深く嘆息し「開け!エパタ」と言って、閉塞を開いてくださいます。そして「この人のなさったことはみな素晴らしい」との驚きと感動が、あなたの体験となるのです。そのことを信じて、イエス様のなさる「素晴らしい」御業を心から期待しましょう。

 

9月16日礼拝メッセージ「神を仰ぎ見る」

(礼拝メッセージ)「神を仰ぎ見る」詩篇63篇1~11節

                          楠 亜紀子師

 今日は詩編63篇から「神を仰ぎ見る」と題して、恵みをお分かちしたいと思います。

★詩篇は150の歌からできている「賛美歌集」であり、今から二千年以上前に書かれたものです。しかし現代に生きる私たちが読んでも、慰められ励まされ共感するところが多いことから、聖書の中で最も親しまれている書物だそうです。

★63篇はダビデが書いたものです。ダビデはイスラエル王国の二代目の王ですが、初代王のサウルや、実の子供アブシャロムからも命を狙われ、その度に荒野に逃げ込むことがありました。今日の63篇は、アブシャロムから命を狙われた時のことです。「荒野」は、日中は太陽がジリジリと照り付け、夜になると野の獣がうろつくような広大な荒れた土地です。ダビデは肉体的にも精神的にも厳しい状況に置かれていましたが、どのような思いをもって神様に目を向けたのでしょうか。ダビデは不平不満を言うのではなく、1節「神よ、あなたは私の神…」と神様に絶対的な信頼を置き、神様を見上げました。ダビデは肉体的な必要はたくさんあったと思いますが、何よりも神様を求め、神様に渇き、神様を慕いました。

★2節「私はあなたの力と栄光を見るために…聖所であなたを仰ぎ見ています」とあります。聖所とはエルサレムでの礼拝を指します。しかし、荒野にいても何処にいても神様を見上げ礼拝するなら、聖所で礼拝する時と同じ豊かさを持ちます。3~4節でダビデは神様の恵みは自分の命より大切だと歌い、神様をほめたたえています。更に6~7節では、夜更けに床の上で神様の恵みを思い巡らせ、ひな鳥が母鳥の陰に守られているように、神様からずっと守られてきたことを感謝して喜び賛美しています。

★私たちの人生にも色々なことがあります。時には、まるで荒野にいるかのような厳しい状況に置かれることがあるかもしれません。しかし、環境や状況に左右されず、ダビデのようにいつも神様を見上げ、神様に信頼するなら、神様は必ず守り助けて下さいます。神様の力強い右の手が私たちを支えて下さいます。私たちもいつも神様をほめたたえ、両手を上げて賛美しましょう。

小坂忠先生による礼拝&スペシャルライブコンサート

小坂忠先生による礼拝&スペシャルライブコンサート

今度の9月9日(日)に、小坂忠先生による礼拝&スペシャルライブコンサートが、溝の口キリスト教会で行なわれます。

★特別礼拝は午前11時50分からの合同礼拝になります。
★ライブコンサートは、午後3時30分開場です。
開演は午後4時です。
第一礼拝も第三礼拝もありませんので、ご注意ください。
11時50分からの合同礼拝にお集まりください。

 礼拝もコンサートも沢山の方々が来られますので、
お早めに会場にお越しください。