Monthly Archives: 7月 2018

7月29日礼拝メッセージ「パンの奇跡とその意味」

(マルコNO32)「パンの奇跡とその意味」6章30~44節

                        仁井田義政 牧師

 弟子達は伝道に成功して帰ってきました。弟子達の心身の疲れは極限に達していました。イエス様はそれを見て、弟子達に「あなたがただけで、寂しい所に行って休みなさい」と言われました。「あなたがただけで」とは、群衆を置いてという意味です。弟子達はそこでパンの奇跡という大切な体験をするのです。どうして大切なのかをお話しいたしましょう。

★今日のパンの奇跡の記事は、四福音書すべてに記されています。また同じようなパンの奇跡を、マルコは8章でも記しています。しかし弟子達は二度のパンの奇跡体験によっても、その意味を知らなかったのです。(8:16-21)この真理を知るのは、イエス様の復活後のことになるのです。

★弟子達は伝道から帰ってきましたが、イエス様の所には多くの群衆がいて、ゆっくり「食事をする暇もなかった」のです。イエス様は弟子達に「寂しい所に行って休みなさい」と提案しました。弟子達は群衆を置いて舟で向かいました。ところが群衆は陸路を走ったのです。そして舟が着く前に港に到着して、イエス様と弟子達を迎える有様でした。イエス様の目には、その群衆は「羊飼いのいない羊のように」見えました。イエス様は彼らを「深く憐れんだ」と記されています。その原語の意味は「内臓が痛む」です。

★聖書に記されている奇跡は、多くが願われて行なった奇蹟です。長血の女性の癒し、ヤイロの娘の蘇り等々もみなそうです。しかし、今日のこの奇跡は、誰も望んでいませんでした。弟子達は「解散し、自分で食べ物を買うように言いましょう。」とさえ言っていました。五千人の群衆の誰一人「イエス様、私達にパンをください」とも言っていません。それなのに、イエス様は「五つのパンと二匹の魚」を弟子達に配るように言われたのです。

★パンはイエス様ご自身であり、イエス様の言葉とも見ることが出来ます。それを配るのは弟子達です。主は最後の晩餐の時にも「これはあなたがたの為に裂かれる私の体です」と言われました。復活した日の夕方、エマオの村に帰った弟子の家でパンを裂いたこと(ルカ24:30)もありました。 

★イエス様は、弟子達にあなたが手にしているパンは五千人に配っても、十二の籠に残る程の豊かなものなのだと言われているのです。聖餐式はその具現化なのです。来週は聖餐式です。今日のパンの奇跡の意味をしっかりと信じて、大切な聖餐の式に与かりましょう。

7月22日礼拝メッセージ「真理は殺せず」

(マルコNO31)真理は殺せず6章14~29節

                        仁井田義政 牧師

 今日の御言は、弟子達の伝道派遣という聖書の記事に挟まれて出て来ています。それではなぜこの所にヘロデ王が洗者ヨハネを殺害したことが記されているのでしょうか。ヨハネの首を跳ねたヘロデは、「殺したはずのあのヨハネが生き返ったのだ」とイエス様を恐れたのです。ここに今日の「人を殺しても真理は殺せない」というメッセージがあるのです。

★ヘロデ・アンテパスはヘロデ大王の息子です。ヘロデ大王は、ベツレヘムの男の子を大量殺戮した残酷な王でした。ヘロデ大王の亡き後、ローマはヘロデ大王の子供たちにイスラエルを分断統治させました。ヘロデ・アンテパスには、ガリラヤ地方を支配させました。ヘロデ・アンテパスは、兄弟ピリポの妻ヘロデアを横取りしました。「洗者ヨハネの首を」と願ったのは、そのヘロデアの連れ子サロメなのです。

★ヘロデアは、罪を指摘された洗者ヨハネを憎んでいました。ヘロデ・アンテパスは罪を責められヨハネを捕えましたが、その教えに共鳴し「神の人を殺すことは出来ない」と保護していたのです。ヨハネは、捕われても躊躇なく罪を示しました。ヘロデアは、夫のアンテパスがヨハネを保護しているのを苦々しく思っていたのです。すぐにでも殺してしまいたかったのです。

★そのような時に、ヘロデ王の誕生日になりました。父親違いの娘サロメがお祝いの踊りをしました。するとヘロデ・アンテパスは気を良くし「何でも望むものを与えよう」と言ったのです。娘はその母と相談し、「洗者ヨハネの首を頂きなさい」と言いました。ヨハネを殺してしまえば罪を責められないと思ったのです。自分のかつての夫ヘロデ・ピリポを裏切った罪を隠蔽できると思いました。ヨハネを殺して安心できると思った途端、イエス様が出てきました。そして「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」と、洗者ヨハネと同じメッセージを開始したのです。 

★人々は、イエス様を「洗者ヨハネの生き返りだ」と噂しました。やがてヘロデ・アンテパスは、イエス様をも殺しました。しかしヨハネを殺しても、イエス様を殺しても、真理を殺すことなど出来ないのです。真理に従わなければ、真理があなたを殺すのです。イエス様は「私は真理です」と言われました。真理の前に罪を悔い改めるか、真理を踏みにじって裁きを受けるか、二者択一しかないのです。謙遜になって真理の言葉を受け入れましょう。

7月15日礼拝メッセージ「遣わされた弟子達」

(マルコNO30)「遣わされた弟子達」6章6~13節

                        仁井田義政 牧師

 先週は、六田弁護士がご奉仕して下さいました。素晴らしい礼拝と信徒訓練会になりましたことを感謝致します。今日からまたマルコの福音書の講解メッセージに戻ります。今回は、あえて6節を再度入れさせていただきました。今日の御言の伝えようとしているところは弟子達の信仰についてです。

★イエス様の伝道は、ナザレの人々の不信仰によって失敗(こういう言い方が良いのかわかりませんが)してしまいました。しかし、それだからと言って失望し伝道を止めてしまわれたわけではありません。聖書には「それからイエスは近くの村々を教えて回られた」(6:6)と記されています。つまり直接本丸が駄目なら、外堀を埋めることからと言うわけです。故郷のナザレ伝道の失敗の原因は、イエス様にではなくナザレの人々の不信仰にあったからです。

★イエス様は、十二人の弟子達を六組に分けて近くの村々に遣わされました。まだみな弟子になったばかりで完成はしていないのです。そのような者に「権威」を与えて遣わされました。しかし伝道に「パンも袋もお金も二枚の下着も持って行ってはいけません」と言われました。

★イエス様は、どうしてパンもお金も持って行くことを禁じられたのでしょうか。それは権威を与えられた弟子達が、謙遜にその権威を用いた伝道をしなければならないことを知らせるため、また伝道は伝道者や牧師が一人でするものではないことを学ばせるためでした。他の人の助けが必要なのです。だからと言って人々の助けを得るために、イエス様の真理をソフトなものにしてはいけません。人々の救いは「悔い改め」させることから始まります。そして悪霊追放、病の癒しが行なわれるのです。弟子達による「近くの村々の伝道」は、ナザレの村の結果とは反対に大勢の病人が癒されたのです。

★44年前の3月の春の時でした。私は卒業したら教団や教区に金銭的援助も人的な援助も受けないで、信徒ゼロからの開拓伝道をするという考えでいました。理事達は心配して「そのような無謀な伝道は失敗するからやめなさい」と忠告して下さいました。その時に私は「イエス様の弟子達は何も持たないで行くことを命ぜられ、それに従いました。すると全員伝道に成功して帰ってきました。」と主張したのです。私達も、今まで以上に助け合い協力し合って伝道の働きをすれば、必ず不信仰な所まで伝道は到達し成功するのだと確信を持ちましょう。そしてますます伝道を前進させましょう。

 

7月1日礼拝メッセージ「イエス様の驚き」

(礼拝メッセージ) 「イエス様の驚き」マルコ6章1~6節

                        仁井田義政 牧師    

 イエス様はガリラヤ湖周辺の伝道を一時終えて、ご自分の故郷ナザレの村へと帰られました。しかしイエス様は、人々の不信仰のゆえにナザレでは「力ある御業を何一つできなかった」と聖書は記しています。今日は、信仰と神様の御業には密接な関係あることを学びましょう。

★イエス様の母マリヤは、ガリラヤ地方で「イエスは悪霊に憑かれている」と噂されていることを知って、イエス様を連れ戻しに来たことがありました。そのナザレに帰られるのです。安息日になり、イエス様はナザレの会堂に立って話すことになりました。誤解の渦巻くナザレの村で、よく会堂管理者の許可をとれたものだと思います。それはガリラヤの会堂管理者、つまり娘を助けて頂いたあの会堂管理者が、イエス様を迎えるように書状を送ったのではないかと思われます。

★会堂に集まった人々は、イエス様の話を聞き、その知恵と力に驚きました。かつてのイエス様とは全く違っていたからです。三十歳までのイエス様は、ナザレの大工でした。小さな村では、多くの人が幼少期から三十歳までのイエス様を知っており、それゆえにあまりの変化に驚き躓いたのです。「躓く」とは、信仰が倒れることです。イエス様に会って、イエス様の御言を聞いて、信仰が躓いたのです。つまり不信仰になったのです。

★ナザレの村の人々は、御言を聞き、イエス様の知恵と力を知りながら    不信仰になったのです。彼らの不信仰ゆえに、イエス様は力ある御業を何一つ行なうことが出来なかったと聖書は記しています。そして、イエス様は「彼らの不信仰に驚かれた」(6:6)とも記されています。イエス様は寂しく故郷を去ることになるのです。

★イエス様はナザレに来られる前に、長血の女性に「あなたの信仰があなたを癒したのです」(5:34)と、また会堂管理者ヤイロの娘が死んだと知らせがあった時、「恐れないで、ただ信じていなさい」(5:35-36)と言われています。イエス様から力を頂くためには、信仰が絶対的に必要なのです。しかしナザレの人々は不信仰であったので、イエス様は驚かれたのです。信仰に強く生きていますか。不信仰に注意し、生涯を信仰で貫きましょう。