Monthly Archives: 4月 2018

4月29日礼拝メッセージ「平安に生きるために」

(礼拝メッセージ)マルコNO24「平安に生きるために」4章26~34節

                      仁井田義政 牧師

今日の御言でイエス様が「神の国は」と、農業の話を譬えにして話しておられます。それは神の国に入ると、平安だからです。

★「神の国」を、イエス様は「人が地に種を蒔くようなものです。」と言われました。植物の成長が人の手によらないように「神の国は人の手によらない」(28節)と言われました。そこには、ギリシャ語の「オートマティ」という言葉が使われています。それはオートマ(自動)という英語の語源です。植物は、昼も夜も成長する力を持っています。その自然界に満ちている神様の力を、自分の中にも満ちていると信じるのが「神の国」に入ることなのです。神の国は目に見えないのです。

★イエス様は「神の国は小さな辛子種のようなものです」と言われました。 初心者はそこを間違うのです。小さな信仰でも心に宿したならば、神様にそのことを感謝して自分自身を神様にお委ねするのです。すると、神の国の「オートマティ」が働いて、神様への信頼が成長し、やがて大きな木のようになり、小鳥が巣をかける程の木となるのです。

★そのように「神の国」に入るとは、神様の守りの力があることを信じることです。昔、貧しい人が船で他国に行かなければならなくなりました。ようやく船のチケットを購入し乗船しました。しかし何日も食事をしないで我慢しました。食事代がなかったからです。この人はみるみる衰弱していったので、乗務員が心配して「どうして食事をしないのですか、どこか体の調子でも悪いのですか」と聞きました。貧しい人は実情を話しました。すると乗務員が「お客様、チケット代には全ての食事代も入っています」と言いました。それを聞いて貧しい人は、それから安心して食事の席に着いたというのです。ある人は神の国の力を知らないのです。食事代も全て入っている船に乗っていながら食事をしない人のように、神の国の恵みを知らないのです。

★人々は、自分は神様に守られていると信じられないほど傷ついています。その傷が癒されなければ平安になれません。神様の守りを信じましょう。そうすれば恵みに満ちた神様の「オートマティ」、つまりオートメイションが始まります。イエス様はあなたを愛して神の国に招いておられます。そのイエス様の愛と恵みの力を信じましょう。イエス様を信じて、平安に生きる人になりましょう。

4月24日礼拝メッセージ「光を高くかかげよ」

(礼拝メッセージ)マルコNO23「光を高くかかげよ」4章21~25節

                      仁井田義政 牧師

 この話を聞いているのは、一般大衆ではなく、イエス様の弟子達です。イエス様の過激な言動によって、自分にも危険が及ぶのではないかと感じ始めた弟子がいても不思議ではありません。そのような背景で今日の御言を聞くと、私達にも御言が迫ってきます。

★この時代の夜の部屋は、明かりがなければ真っ暗闇で、どこに何があるか全く見えない状態でした。唯一、その闇を照らす方法は、灯皿の火をともすことでした。その灯皿を枡や寝台の下に置いては、部屋が真っ暗になってしまいます。

★イエス様は、世の闇を照らす光です。しかし真理はある者達には「隠れて」います。(4:11)大衆もイエス様の母マリヤもイエス様の兄弟も、そしてこともあろうにイエス様の弟子達も、わからないのです。(4:10)ついには、イエス様の真理が十字架で葬り去られてしまうように見えました。しかし真理は覆い隠しても必ずあらわになり、覆い隠しているものを跳ねのけて明らかにされるのです。それはイエス様の復活でした。

★イエス様は「聞いていることによく注意しなさい」「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われました。自分の考えの量りでイエス様の言葉を聴くのか、他の人の考えの量りでイエス様の言葉を聴くのか。それでは誰の言葉を聴くのでしょうか。それは十字架で殺されても、墓に葬られても、数トンの石で塞がれても、復活された命と力に溢れた主の言葉を聞くのです。イエス様の言葉に対する理解力が、あなたを豊かにします。

★イエス様の言葉は真理です。しかし型破りのイエス様の真理を聞き、弟子達のある者は自分の身にも迫りつつある危険を感じて、気弱になっていたのでしょう。ですから「ともし火を高く掲げよ」との御言が語られたのです。イエス様の御言は、人間の暗闇を照らす真理の光です。その真理は、クリスチャンの私達の手にゆだねられました。誇りを持って、明かりを高い所に掲げなければなりません。クリスチャンの皆さん、イエス様の真理の光をもっと高くかかげようではありませんか。

 

(4月15日拝メッセージ)「御言と収穫」

(礼拝メッセージ)マルコNO22「御言と収穫」4章14~20節

                       仁井田義政 牧師

 弟子達は「先ほど話された種をまく人の譬えにはどのような意味があるのでしょう。」と聞きました。イエス様はその弟子達の質問を聞いて、弟子達の無理解にあきれてしまいました。イエス様は再度「種を蒔く人」の譬えの意味を説明して下さいました。

★道端に蒔かれるとは、こういう人の心に蒔かれる種のことです。御言の聞ける範囲に来ていたのに、固い地面の為に御言が跳ね返され、心に入れなかったのです。「鳥」とはサタンのことで、御言が地面に入らないように見張っているのです。それは種を蒔く人も、種も更にはサタンが悪いのではなく、受け入れない心の固い人が悪いのです。

★岩地に蒔かれるとは、こういう人の心に蒔かれる種のことです。イスラエルに行ってみると分かりますが、石ころではなく岩盤です。その上に土が覆っていることがあるのです。土がかぶっているので、良い地のように見えます。しかし太陽が昇ると芽を出しますが、根が張れないのですぐに枯れてしまいます。それは、困難や迫害や反対が起こるとすぐに信仰を捨ててしまう試練に弱い人のことです。

★茨の中に蒔かれるとは、こういう人の心に蒔かれる種のことです。一見その地は良い地のように見えるですが「世の心遣い、富の惑わし、その他の色々な欲望」が入り込むと、御言の成長が妨げられてしまうのです。イスラエルには、棘のある植物が二百種類ほどあると植物学者は言っています。棘のある二百種類もの欲望を取り除かなければ、御言は実を結ばないのです。

★良い地に蒔かれる人とは、柔らかい心に蒔かれる種のことです。それは道端のような土地であっても良く耕され、石地であっても石がのけられ、棘のある植物の根のある地であっても、その刺の欲望を抜き去り捨てる時に、その畑は良い地となり、百倍の実を結ぶのです。それは御言を聞く人の決断でと選択です。

★良い心で御言を聞く者は、「三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶ」(マルコ4:20)と言われました。イスラエルの当時の農業では、十倍か二十倍になったら大収穫でした。しかしイエス様の言われた収穫は、その上の三十倍、六十倍、百倍の途方もない奇跡的な大収穫です。それを約束して下さっているのです。良い地に御言を頂き、大収穫をもたらそうではありませんか。

 

4月8日礼拝メッセージ「イエスご自身が近づいて」

(礼拝メッセージ)「イエスご自身が近づいて」ルカ24章13~43節

                         仁井田幸子師

    先週は、主の御復活を皆で感謝し、お祝いすることが出来ました。今日の聖書箇所は、復活直後の出来事です。

★エルサレムから11キロ離れたエマオに向かう二人の弟子に、イエス様が近づいて話しかけられます。二人はその御方がまさか復活されたイエス様とは気付かず、エルサレムで起きたイエス様の十字架の死と、お墓からお体が無くなってしまったことを話します。イエス様は、絶望と悲しみで意気消沈している二人に、聖書からその真の意味を解き明かされます。それでもなおその御方がイエス様であることに気付きません。ただ不思議なことに心(霊)が燃える体験をします。

★弟子の家に入り、用意された食事にイエス様がパンを裂き祝福されます。本来ならばその家の主人がすることです。そこで二人は初めて、見慣れたイエス様のパンを裂き祝福される御姿を見て、イエス様だとわかったのです。なんと幸せなことが起きたのでしょう。復活のイエス様が十二弟子ではないたった二人の弟子に近づき、共に歩き、聖書を解き明かし、パンを裂いて祝福して下さったのです。

★二人は、この素晴らしい出来事を知らせるべく、エルサレムに引き返します。弟子達に話している時に、イエス様が入って来られ、真ん中に立たれました。弟子達は、驚き恐れて幽霊を見ているのだと思ってしまいます。イエス様はおじ惑う弟子達に「わたしの手や足を見なさい。」そして「わたしにさわって見なさい」そして遂には焼いた魚を召し上がられたのです。イエス様は、至れり尽くせり、何としてでも、どのような方法をとってでも、弟子達に分かって欲しかったのです。そこまでして、人類に対する神様の愛が十字架と復活にあると示されたのです。

★それでは私達は、共に歩んでくださっているイエス様にどこで気が付くのでしょうか。聖書を解き明かされた時でしょうか。イエス様に「心の鈍い人たち」と言われた二人の弟子も、心のうちが燃えた体験をしました。私達も鈍い者ですが、心のうちが燃える者でありたいですし、正しい聖書知識によって神様の愛を理解する者でありたいです。私達の全人格(知情意)においてまた霊性において、ますます主を追い求め、愛してゆく者になりましょう。主が私達に近づいて、共に歩んでくださっています。

4月1日イースターメッセージ「マリヤと呼ばれて」

(イースターメッセージ)「マリヤと呼ばれて」ヨハネ20章11~18節

                       仁井田義政 牧師

 今日は、イエス様のご復活をお祝いするイースターです。一日楽しく明るく、主のご復活をお祝いしましょう。

★イエス様のご復活の朝、墓に行ったマグダラのマリヤ達は、イエス様の体が墓の中からなくなっていたので、悲しみ泣いていました。すると二人の天使が、墓の中からマリヤに声をかけたのです。天使は背中に羽が生えているように絵画などに描かれていますが、聖書にはそのようなことは書かれていません。当然マリヤは、この二人は墓の番人で、どこかにイエス様の体を移したのだろうと思ったのです。人間の常識と、死んだ人が蘇るはずがないという思い込みは、天使の声を聞いても信じられないのです。

★からになった墓の中を見て絶望してしまったマリヤの後ろに、イエス様は立っておられました。暗い墓の中から、太陽が昇った外への視線の移動であったからでしょうか、イエス様のおられる世界がかえって明るすぎて、見えにくかったのです。人間は死んだら終わりなのだと思って、暗闇ばかり見てきた私達人間に、復活のキリストは眩しすぎて見えないのです。

★しかし復活のイエス様に会っていながら見えなかったマリヤが、その眩しさを越えることが出来たことを聖書は記しています。それを越えさせたのは「マリヤ」と呼ぶイエス様の声でした。マリヤは固有名詞で「マリヤ」と呼ぶイエス様の声を聞きました。イエス様から自分の名前を呼ばれる体験をした者は幸いです。復活の主イエス様との出会いは、自分の名前を呼ばれることによって起こるのです。  

★マグダラのマリヤは、一説によればイエス様と出会う前は、七つの悪霊につかれた女と言われていた人です。イエス様に出会うまでは、人々から人間扱いをされてこなかった女性だったようです。そのような自分をイエス様は分け隔てなくいつも「マリヤ」と呼んでくださったそのイエス様の呼ばれる優しい声の響きと、有難さがマリヤの心に残っていたのです。その記憶に、復活のイエス様が「マリヤ!」と呼ぶ声が共鳴したのです。その声がマリヤの心を貫いたのです。するとマリヤの口から「ラボニ~訳せば先生」と、信仰の言葉となって飛び出したのです。イエス様は、あなたの名をも呼んでおられます。その声を聞き、私達も「先生」と復活の主に信仰の目を開いて、マグダラのマリヤと共に主のご復活を喜び、お祝いしましょう。