Monthly Archives: 12月 2017

2017年最後の礼拝「イエス様に送り出されて」

2017年最後の礼拝「イエス様に送り出されて」ルカ17章11~19節

                                                                                  仁井田義政 牧師

 今年最後の礼拝です。礼拝に大切なのは感謝です。感謝はどのような時に生まれ、どのような時に忘れてしまうのでしょうか。

★今日の御言には、重い皮膚病にかかった十人の人が出て来ます。普段は仲の悪いユダヤ人とサマリヤ人が、同じ所で生活していたようです。両方の町の境にツァラアトの村を作っていたのでしょう。その病のために「汚れている」という差別を受けて、本来敵対的な二つの民族がひとつになって生きていたのです。イエス様がその所を通られると、十人の病人は、遠く離れた所に立って「イエス様、どうぞ憐れんでください」と叫びました。

★イエス様はその声に「祭司の所に行って体を見せなさい」と言われました。それは病気の癒しの約束でした。彼らが祭司に体を見せに行く途中で、その病が次々に癒されました。しかしイエス様に感謝するために帰って来たのは、十人中一人であったと聖書は記しています。病気が治ったら、九人がイエス様との関わりから消えてしまったのです。汚れた病気だったことを後の人生で人々に知られたくなかった為であったかもしれません。しかし一人だけが九人から分かれたのです。

★その人はサマリヤ人でした。イエス様は「戻ってきたのはこの外国人のほかに誰もいないのですか」と言われました。サマリヤ人は「大声で神をほめたたえながらイエス様の足元にひれ伏して感謝した」のです。感謝の礼拝の姿でした。ユダヤ人から「サマリヤ人は神の恵みを受ける資格がない」と言われていた外国人なのです。しかしこのサマリヤ人はイエス様から「癒し」と「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを直したのです。」という祝福を受けたのです。

★大声で神をほめたたえながら、イエス様の所に帰ってきて礼拝したとありますが、この「大きな」はギリシャ語でメガです。「声は」フォンです。メガフォンを使ったような大声で神を賛美したのです。これこそ真の感謝の礼拝です。感謝できてこそ人間は心身が健康体なのです。イエス様は、感謝して礼拝したその人に「立ち上がっていきなさい」と言葉をかけて送り出して下さるのです。イエス様に心から感謝の礼拝をし、イエス様の力強い言葉に送り出されて、2018年に進んで行きましょう。

 

2017年12月24日 クリスマス礼拝「神が共におられます」

2017年クリスマス礼拝「神が共におられます」マタイ1章18~23節

                                                                                  仁井田義政 牧師

  皆さん、クリスマスおめでとうございます。今日の御言には、クリスマスがなぜ私達にとっておめでたいのかが記されています。

★まずその理由は、私達を罪から救ってくださる方の誕生ですと記されています。「罪」と言いますと、刑法に触れる犯罪のことだと誤解してしまうことが多いです。しかし聖書によると、それは罪の結果であって罪そのものではないことがわかります。聖書はもっと根源的な意味で「罪」という言葉を用いています。聖書で言う「罪」とは、関係の断絶のことです。どのような関係の断絶かと言いますと「神様との関係の断絶」なのです。

★人間は神様によって造られたものですから、本来は神様と一緒に生きていくのが自然でした。聖書の全てを二行くらいにまとめるならば「神様から離れた人間の悲惨と、その人間を救いに来て下さったイエス様」と言うことが出来るでしょう。神様との関係について言えば「人間と神様は、はじめ愛で繋がっていた」のですが壊れてしまい、そのためにボタンのかけ違いのように全てがずれてしまったのです。そして人間には、孤独、自分を大切に思えない、人を愛せない、犯罪等が入って来たのです。

★イエス様は、人間と神との関係修復の為に来て下さったのです。そのために「その名をイエスとつけなさい。御自分の民をその罪から救ってくださる方です」(21節)と記されています。イエス様の名前にその意味が込められています。当時使われていたアラム語で「イェーシュア」ですが、それは「神は救う」という意味です。道に迷ってどちらの方向に行ったら良いか不安な時に、道案内の人がそばに来てくれたら不安から救われます。イエス様は私達の所に、道案内に来て下さったのです。

★旅人は知らないところでよく迷います。知らない所で迷う時、不安で周りの美しさを楽しむ余裕すらありません。そのような時、その土地の人が「目的地まで私が送ってあげましょう。」と言うことがあります。そうすると旅人の心から一切の不安が消え去り、旅人は周りの景色の美しさを楽しむ余裕まで出て来るのです。イエス様は私達の人生の道案内です。いつも一緒に旅をして下さるのです。そのために私達は初めて人生の旅を楽しむ余裕が出て来るのです。私達を罪から救うために来て下さったイエス様に心から感謝しましょう。

12月17日アドベント礼拝3「マリヤの勇気とアドベント」ルカ1章27節~38節 

(アドベント礼拝3)「マリヤの勇気とアドベント」ルカ1章27節~38節                                        

                         仁井田義政 牧師

 今日は、アドベント第三週を迎えています。来週はいよいよクリスマス礼拝です。アドベントメッセージの中で、受胎告知は素晴らしく示唆に富んだところです。

★今日の聖書箇所には、天使の「おめでとう。恵まれた方。主が共におられます」と言う言葉に、マリヤが「ひどく、戸惑った」(29節)と記されています。この戸惑いがあればこそ、マリヤは私達からも遠くない存在です。マリヤはヨセフと婚約中で、マリヤは幸せでした。それなのに天使まで現れて「おめでとう」と言われたのです。ナザレの村の田舎娘に、神様がこれほどの扱いをするとは思いもよらないことでした。マリヤの「戸惑い」はそこに起こったのです。マリヤも私達と同じです。

★マリヤはこの時15歳か16歳の時であったと言われています。いいなずけのヨセフと将来の幸せが待っていたのです。婚約者ヨセフとの間でさえ結婚前に子供が出来たとなれば、両家にとって不名誉という時代なのです。ところがヨセフの知らない懐妊となれば、婚約の解消どころか、マリヤを拷問し相手を探し出し、両者を会衆の面前に引き出し、みんなで石を投げつけて処刑されてしまう時代なのです。幸せだったマリヤの身に不幸なことが起こったのです。

★マリヤは「どうしてそのようなことがあるでしょう」と言いました。自分の身に覚えがないのに、身ごもって殺される、こんな馬鹿げた恵みはないと思ったことでしょう。しかし、人間の常識的世界から見れば「どうしてそのようなことがありえましょう」という事態なのに、御使いは「聖霊が」つまり全能の神がそうして下さるのですと言ったのです。

★「聖霊がそうして下さる」と聞いても、それで全てが解決したわけではありません。身に迫る処刑が心配ですし、夫婦になる約束を交わした夫となるヨセフの怒りはどうなるのでしょう。しかしマリヤは「私は主のはしためです。あなたのお言葉通りにこの身になりますように」と受け止めるのです。信仰を持つ時に必要な勇気です。今なおマリヤの状況に心配事は残っています。勇気を奮い立たせて「私は主のはしためです」と言いました。つまり「主は私の主です」と言っているのです。そこから主の素晴らしい恵みと力が溢れ出すのです。マリヤのように、このアドベントの日にはっきりと主のしもべになりましょう。

12月10日アドベント2 礼拝メッセージ「キリストを迎えるために」

(アドベントメッセージ)「キリストを迎えるために」ルカ1章26~56節,マタイ1章18~25節 

                                                                                                     仁井田幸子 師                                       

 アドベント第二週に入りました。神様が人類に救い主を送るというご計画が実現するためには、そこに謙遜に従う人々がいました。今日は三人にスポットを当ててその信仰を学びましょう。

★一人目はもちろん乙女マリヤです。小さな町の小さな乙女マリヤに、御使いによって「聖霊によって神の御子を身ごもる」という、とてつもない知らせが伝えられました。マリヤには思いもよらない事でした。小さい頃から神様が救い主を送ってくださるという預言を聞いていましたが、まさか自分にそのような事が起こるとは、と困惑してしまいました。しかしマリヤは、戸惑いながらもご計画を受け入れました。ただそうすることには、大きなリスクがありました。マリヤはヨセフと言う青年と婚約していましたので、そのような身で妊娠していることになると、汚れたみだらな女性・婚約者を裏切った女性として、結婚は破棄され、死刑に処せられることになるのです。しかしマリヤは「お言葉通りこの身になりますように」と告白したのです。

★二人目はヨセフです。ヨセフはマリヤの妊娠を知って苦しみ、死刑になってはいけないと静かに去らせようとします。しかし神様はご計画を成就するため、ヨセフに御使いを遣わし説明します。ヨセフもまた、救い主を待ち望んでいた一人なので、戸惑いながらも受け入れ、「主の命じられたとおりになりますように」と告白します。そしてマリヤを迎え入れ支え続けます。

★三人目はエリサベツです。マリヤは御使いから、不妊の女と言われ既に歳をとっていたエリサベツも神様のご計画の中で奇跡的に妊娠していることを告げられ、エリサベツの家に向かいます。マリヤを迎えたエリサベツは、聖霊に満たされ、確信に満ちた言葉でマリヤを祝福します。その言葉で、妊娠への心配と不安の中にあったマリヤは励ましを受け、さらに主のご計画を確信し、あの有名な「マリヤの賛歌」を歌います。エリサベツとマリヤはそこで三ヶ月間、主を賛美し励まし合い、素晴らしい時を過ごします。

★この三人はみな、謙遜に神様のご計画に従いました。それゆえに今、私達は、救い主イエス様にお会いすることが出来ているのです。一人の人の従順から素晴らしい祝福が広がることを知って、私達も信仰を整えましょう。

 

12月3日アドベント礼拝「主は仕えるために来られた」  

(アドベントメッセージ)「主は仕えるために来られた」マタイ20章17~28節

                       仁井田義政 牧師                                 

 今年も今日からアドベントが始まります。クリスマスまでの四週間、イエス様は何故この世に来られたかを思いめぐらす信仰の時としたいと思います。今日はイエス様ご自身の御言から、イエス様は何のために来られたのかを見ていきましょう。

★今日の御言には、二人の弟子の母親が「イエス様、うちの子をイエス様の右と左に座らせて下さい」とお願いしました。自分の子供たちと話し合ってのことでしょう。親が子を思う姿としては理解できます。それを聞いた他の十人の弟子達が怒りました。これは、主が十字架に着くためにエルサレムに上る道での出来事でした。弟子達はクリスチャンでありながら、何も分かっていなかったのです。これはクリスチャンにとって大変不幸なことです。

★イエス様は、その弟子達に信仰のイロハのイから教えなければなりませんでした。そのイロハのイとは「イエス様は何のためにこの世に来られたのか」ということです。イエス様は「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべとなりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです。」と言われました。イエス様が私達を救うために、ゴルゴタの十字架へと向かっておられる時なのです。十字架において、ご自分の血の最後の一滴までも、私達の為に捧げ尽くしてくださるのです。それを聞いている者の中に、まもなくイエス様を裏切るイスカリオテのユダもいました。

★弟子達は、このエルサレム上りの時に至ってもイエス様の来られた目的を知らず母親まで巻き込んで「新しい国での自分の立場確保」の為に直談判をしています。私達も気をつけないと、キリストに仕えるよりも、自分の幸せや自分を喜ばせる為に、自分に仕えてしまうのです。自分達の身を温かい部屋で憩わせるために、イエス様を寒い馬小屋に追いやってしまうのです。もしそうならば、クリスチャンとして恥ずかしいことです。私達の為に来てくださったイエス様に、今度は私達がお仕えすべきではないでしょうか。アドベントのこの時に、私達の信仰を整えましょう。そして信仰に満ちて、クリスマスをお迎えしましょう。