Daily Archives: 2017年7月16日

7月16日礼拝メッセージ「弱い時にこそ強いのです」

第二コリントNO30弱い時にこそ強いのです」12章7~10節 

                        仁井田義政 牧師 

 前回、パウロが第三の天に行って来たという体験が記されている箇所をお話ししました。それは誰でも体験できるなどと言うものではありません。パウロ自身も「その啓示があまりにも素晴らしい」体験だったと言っています。パウロは、神様から「高ぶることのないように・・ひとつの棘を与えられた」と言っています。その結果、パウロは「弱い時にこそ強い」自分を発見しました。

★信仰者にとって、最大の誘惑は「高ぶりと傲慢」です。パウロのように、神様に用いられる人ほど注意が必要です。パウロが「肉体にひとつの棘を与えられた」ということから見て、何らかの病気であったと考えられます。目の病気だったかも知れません。第三の天にも行き、使徒19章には、パウロの前掛けや手拭いを病者に当てただけでその病が癒されたことが記されています。まさに人々が求めていた超能力者です。しかし神様は、パウロが高ぶることがないようにと、肉体に棘を与えられたのです。

★パウロは、棘を取り除いて下さるようにと神様に三度も祈りました。三度の祈りとは激しい祈りです。イエス様のゲッセマネの祈りも三度でした。イエス様の「苦き杯=十字架」も、パウロの「肉体の棘」も取り除かれなかったのです。その両方の苦しみには目的がありました。イエスは十字架による人々の救いであり、パウロは謙遜な伝道者となることでした。しかも毎日肉体に感じる棘があるのに、「私の恵みはあなたに十分である」と神様は言われたのです。その中で感謝の生活をするように言われたのです。

★そのことによって、パウロは「神の力は 弱さの中に現れる」という逆説的真理に導かれました。一般的には「弱さ」は悪であり、「強さ」は善なのです。だから誰でも「強さ」を求めるのです。しかし強さや完全の中では、神様の力も恵みも見えなくなってしまうのです。私達に罪がなかったならば、キリストの十字架の愛は分からなかったでしょう。病がなければ神様が癒し主であられることを知らなかったでしょう。弱い私達をキリストの力が覆って下さるのです。だからたとえ弱さを持ったままでも、神様の力と恵みに包まれていることを感謝しましょう。苦しい時こそ、神様の恵みに包まれているのです。どんな時にも神様に感謝して信仰を成長させましょう。