Monthly Archives: 5月 2017

5月28日礼拝メッセージ「光の天使に偽装して」

第二コリントNO26「光の天使に偽装して」11章7~15節

                      仁井田義政 牧師

 パウロの使命は、「まだキリストの教えが伝わっていない所に、キリストを伝える」ことでした。日本で伝道されたマクリンというアメリカ人宣教師が、そのような人でした。この人が創立した教会が、アッセンブリーには沢山あります。パウロが福音伝道の為にコリント教会を去った後に、コリント教会に入ってきたのが偽教師達でした。パウロは激しくその本性を暴こうと、この書を書きました。

★パウロは、コリントにおいて極貧の中で天幕作りのアルバイトをしながら伝道しました。しかしギリシャ文化ではそのような労働は奴隷の仕事で、有能な哲学などの教師は多くの給料を得るのが当然でした。パウロがコリント教会から給料をもらわなかったのは無能だったからと、偽教師に批判されたのでした。

★なぜパウロは、コリント教会から給料をもらわなかったのでしょうか。コリントの町には、お金の為の新しい教えがあふれていました。新しい宗教や哲学も、その目的があったのです。パウロは「キリスト教もその目的をもってやってきた」と思われたくなかったのです。だからと言って、パウロが霞を食べて生きていたわけでありません。最初は天幕作りをし、その後はピリピ教会からの献金によって生活し、伝道活動をしたのです。

★偽教師たちはパウロの伝えた正統的な教理に縛られず、すこぶる自由に魅力的な教えをしました。それは、サタンが光の天使に変装して人々を惑わすのに似ているとパウロは指摘しました。彼らの目的はお金なのです。牧師や伝道者にとって、お金の為に牧師や伝道者になったと言われる程、屈辱的なことはありません。パウロは第一コリント9章14~15節で、そのようなことを言われるくらいなら「死んだ方がましだ」と言っています。

★偽教師たちは、人々の欲望に応え、幸せに導く天使に偽装してコリント教会に入ってきました。しかしそのような偽教師やその教えに心酔した者達も、その最後は神様の厳しい裁きによって裁かれるのです。私達の教会は成熟した教会となり、どんなに光の天使に偽装した偽教師にも決して騙されず、しっかりと正しい真理の上に立つ強い教会となりましょう。

 

5月21日礼拝メッセージ「キリストの花嫁として」

第二コリントNO25「キリストの花嫁として」11章1~6節

                       仁井田義政 牧師

7450c58d41d544e43f2a2922d69862f6   パウロは、コリント教会の人々を思う自分の思いは誰よりも強いと主張します。そのことを伝えるために、自分を婚約中の娘を持つ父親に例えて、コリント教会に対する強い心配を記します。

★パウロは、「神の熱心をもって、熱心にあなたがたのことを思っている」と記しました。「熱心」のギリシャ語「ゼロオー」は「激しい情熱と、激しい嫉妬」を表わします。パウロはその神の「激しい情熱」と「激しい嫉妬」を受け継ぎ「あなたがたのことを思っている」と記したのです。そうであればこそ、激しい叱責の言葉ともなるのです。神の教会においては、褒められる時よりも「神の情熱」によって注意される時に、その人の本当の信仰が現れるのです。

★当時、婚約中の娘を持つ父親は、婚約期間が終わったら娘をその夫に渡すために整える責任がありました。立ち振る舞いや、純潔においても婚約期間中に夫になる人に恥ずかしくないようにするのです。教会はキリストの花嫁になる存在であり、この世の教会はキリストの花嫁の準備の時なのです。

★しかし誘惑者であるサタンは、婚約期間中のクリスチャンをキリストから離れさせようと誘惑します。創世記でエバを騙した時のように、神の言よりも魅力的に聞こえる言葉で誘惑するのです。その方法は、ちょっとだけ「神の言」を変えて教えるというものです。偽物の教えは、キリストの花嫁たちをこのようにして汚すのです。現代もその危険は増加しています。パウロは、使徒に絶対的に必要なのは弁舌の素晴らしさではなく、話される「知識が正しいかどうかである」と主張します。

★今日の御言が教えている通り、皆さんは今キリストの婚約者なのです。やがて花婿なるキリストが、私達を迎えに突然おいでになられます。サタンは婚約中の私達をキリストから離そうと悪知恵を駆使して働きかけてきます。しかし、サタンを恐れることはありません。誘惑が来た時、はっきりと意識して「キリストを選びとる」のです。サタンの甘い言葉に騙されてはいけません。私達はキリストの花嫁です。キリストに信仰の純潔を捧げましょう。

(5月14日 母の日メッセージ)「父と母を敬えと言われる神」

(母の日メッセージ)「父と母を敬えと言われる神」出エジプト20章12節 

                        仁井田義政 牧師          

 images母の日は、アメリカのアンナ・ジャービスさんが、お母さんの召天二周年記念会で教会に白いカーネーションを飾ったことが始まりと言われています。そして今日では、世界で「母の日」が行なわれるようになりました。

★母の日や父の日には、モーセの十戒の「父と母を敬え」という教えが読まれたりします。モーセの十戒は、神様からの十の命令です。一戒から四戒までは、神様についての教えです。五戒から十戒までが、人間関係についての戒めです。人間関係の最初の戒めが「父と母」についての戒めなのです。何か収まりが悪い感じがします。しかも「殺人の禁止」よりも前に出て来るのです。両親を敬わないことは、殺人より悪いことなのでしょうか。

★親を敬えないことが、全ての人間関係に影響するということが現代になってようやく分かってきました。親達は、教会でもっと子供たちにこの所を教えてもらいたいと思うかもしれません。そうではないのです。幼い子供達への教えではなく、成人の為の教えなのです。ですから子供たちへ目を向けるのではなく、あなたが年老いた父母に目を向けなければならないのです。

★しかし「父と母を敬え」と言われても納得できない、自分が子供の時、いつも親は仕事を優先させ自分は放って置かれた、兄弟間であからさまに差別された等、親から傷を受けた体験を持つ人もおられるでしょう。中には「私は親に捨てられた、という体験をお持ちの人もいるかもしれません。それなのに「敬え」と言われても腑に落ちないということもあるでしょう。

★私達は親によって深く傷つくことがあるのです。しかし親は神様ではなく人間で、不完全なのです。その不完全な親に、完全さを求めてしまっていた私達の方が間違っていたのです。ですから十戒は「素晴らしかった父と母を敬え」とは記さず「父と母を敬え」と命じているのです。親からの傷を受けたままの人間は、どんなに素晴らしく見えても、どこかに人間関係のひずみや歪みがあるものです。イエス様は私達を完全な親へと導いて下さいました。それは神様で、私達はその子供なのです。もし傷ついていたなら許しましょう。そして父と母に「ありがとう」と言える人生を歩み出しましょう。

5月7日礼拝メッセージ「主に推薦される人」

第二コリントNO24 「主に推薦される人」10章12~18節

                         仁井田義政 牧師

th_shutterstock_118040215 ギリシャ人は「知恵を求める」(第一コリ1:22)とあります。ギリシャ人達は、議論を戦わせて相手を打ち負かし、そこで評価を得た者が成功者として人を教える権威を得るのが常でした。パウロもギリシャに伝道に行くと、否応なくその渦に巻き込まれたのです。

★かつてパウロは第二回伝道旅行の時にヨーロッパに渡り、ギリシャのアテネのアレオパゴスの広場で伝道したことが使徒17章の中に記されています。一時ギリシャ人達は、アジアから来たパウロが何か新しい教えをしていると興味を持ちました。パウロも知恵を求めるギリシャ人達に合わせ、宗教哲学的な論法で話したのでした。そして長い話の後、大切な「イエス・キリストの復活」の話をすると、ギリシャ人達に「あざ笑われ」(使徒17:32)と記されています。パウロは挫折感を味わいました。人からの評価がどんなに空しいかを、身をもって体験したのです。

★人からの評価や推薦を得られないとすると、私達は自己推薦と、自己評価をしやすいものです。自己推薦とは、評価を勝ち取るために、自分を過度に評価推薦することです。今の世の中も、まさにそのような時代です。過度な自己推薦、時々政治家が選挙運動中に行なってしまう学歴詐称などがそうでしょう。結果的には「それは知恵のないことなのです」(12節)とパウロは教えています。

★大切なのは自己推薦でもなく、多人の推薦でもありません。「主に推薦される人」(18節)こそ、主の働きにふさわしい人なのです。主の計画の限度を超えない働き人。他人の手柄を自分のものにしない人です。パウロも異邦人伝道に主が遣わされたので、コリントの町まで伝道して来ました。主がコリントの人々を救いたいと思われ、計画して下さったからに他なりません。「だから、誇る者は主を誇りなさい」と教えています。また「自分を推薦する人でなく、主に推薦される人になりなさい」と教えています。(17~18節)

私達は人や自分からではなく、主に推薦される人になりましょう。