第33回 安曇野の一滴「小さな私塾の偉大な教育者 井口喜源治」

第33回 安曇野の清滴「小さな私塾の偉大な教育者 井口喜源治」仁井田義政 牧師

北アルプスの山々に、雪の冠が輝く頃、私はJR大糸線穂高駅の近くの井口喜源治記念館を訪れました。そこに「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(Ⅱコリ4章7節)という聖書のことばを思わせるその記念館がありました。普通の民家と見間違う建物と、舗装さえされていない駐車場のこの記念館は、スイスのペスタロッチ、日本の小原國芳らと並ぶ教育者井口喜源治の記念館でした。
★井口喜源治は、明治3年5月2日長野県南安曇郡穂高村に生まれました。1884年(明治17年)旧制松本尋常中学校(現:長野県松本深志高等学校)に入学しました。この中学校時代に、英語教師であった米国人宣教師エルマーよりキリスト教の教えを受け、クリスチャンとなりました。卒業後、東京に出て明治法律学校(現:明治大学)に入学しました。その時代に牛込教会に通い、内村鑑三らと知り合い信仰を強めました。そして喜源治はキリスト者として教育者になることを強く決意しました。その為に明治法律学校を中退し安曇野に帰って行きました。そして地元の数校の小学校の教師を務めました。そのころ同郷の相馬愛蔵(後の新宿中村屋の創業者)は、北海道の札幌農学校(現国立北海道大学)で養蚕学を修めて帰郷していました。クリスチャンの相馬愛蔵らと親交を深め、東穂高禁酒会や風紀が乱れるとして芸姑置屋設置の反対運動をおこしました。

★しかしそれが校長や同僚らの反対を受ける事となり、退職に追い込まれてしまいました。退職後喜源治は直ちに、東穂高村矢原に集会所を借りて、キリストの教えを根本にした「研成義塾」をおこしました。研成義塾の教育理念は、その創立趣意書に次のように掲げられています。文語体で書かれていますので、分かりやすくするために口語体に訳されているものを記しておきます。1.私の塾は苦楽を共にする生活の中で、人間としての立派さを学んでいきます。2.私の塾は感動の出会いを通して、人間が変わっていく。その感化が永遠のものになって行くことを目指します。3.私の塾は天から与えられた才能と持ち味を発揮し、一人ひとりの良さを伸ばすことを目指します。4.私の塾は伝統的な宗教遺産を大事に取り上げ、人の命を大切にし、立派に育て広い心を育てることを目指します。5.私の塾は自然、人、文化に学び、社会に目を開いていくことを目指します。(註・これは「安曇野人間教育の源流-研成義塾に学ぶ」井口喜源治記念館発行に出ていた文を参考に、私訳を加えさせて頂きました)この教育理念のもとに、クリスチャン井口喜源治の教育が始まったのです。
★そのカリキュラムを見ますと、英語・漢文・作文・歴史・地理などの中に「道話」の時間もあります。これが聖書教育の時間でした。後に喜源治は、東穂高村三枚橋に新校舎を建築しました。新校舎と言っても民家のような粗末な建物でした。その間も、安曇野で健康を害して東京に移っていた木村屋創立者の相馬愛蔵やその妻・黒光などからの物心両面の援助があったようです。相馬黒光から日本における当時2台目のオルガンも贈られました。井口喜源治の信仰と教育理念に感動した人々に支えられて、安曇野に開かれた私塾は、創立から33年間続きました。その間の卒業者は、600人を数えました。安曇野の厳しい自然の中に咲いた一輪のタンポポの花は、種となって風に乗り、北アルプスの山々を越えて世界に広がって行きました。今や世界に広がって、日本の歴史にも影響を与えているのです。

★研成義塾の卒業生や、師事した人の中には、次のような方々がおられます。(実業家)銀座ワシントン靴店の創業者の東條たかし。(彫刻家)荻原碌山(おぎわら ろくざん)。(思想家)斎藤茂。(外交評論家)清沢洌(きよさわきよし)。(アメリカ移民)平林俊吾(明治・大正に72名が理想郷設立を目指してシアトルに移住する) 平林俊吾の息子ゴードン平林は、第二次大戦中に日本人強制収容所入所を拒否して収監される。戦後も強制収容所政策はアメリカ憲法に違反すると訴え続け、オバマ大統領の時代に、アメリカが非を認め大統領より文民最高位の勲章「大統領自由勲章」を受けています。「偉い人でなく良き人になれ」この言葉が、クリスチャン井口喜源治の子供達への教えでした。それは「それはあなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない」(マタイ20章27節)というイエス様の教えに符合します。塾生たちはその教えに忠実に従って生きたのです。
★私も、中学生の時に井口喜源治のような先生に会いました。喜源治が子供達を野や山に連れ出しては、人間にとって大切なことを教えられたように、その先生も私達を野や山に連れ出して、人生に大切なことを教えて下さいました。その先生は、クリスチャンの渡邊正夫先生です。そのクラスから、私ともう一人の牧師が誕生しました。その先生の告別式を先生の遺言により、深谷春男牧師と私が行ないました。井口喜源治先生に出会った生徒たちは本当に幸せだった思います。私も、渡邊正夫先生に出会ったことは人生の幸せでした。井口喜源治先生と私達の渡邊正夫先生には、共通していることがあります。それは内村鑑三の影響を受けたということです。もちろん井口喜源治は直接内村鑑三の話を聞くことができました。また内村鑑三も研成義塾に数回来て交流を持ったようです。しかし私達の先生は、著書を通して内村鑑三から影響を受けた人でした。牧師になった私達二人も、内村鑑三の著書から強く信仰の影響を受けた者達なのです。内村鑑三が研成義塾を訪れた時の日記には「穂高地に研成義塾なる小さな私塾がある。もしこれを慶應義塾とか、早稲田専門学校とか云うような私塾に較べて見たならば、実に見る影もないものである。・・・しかしこの小義塾の成立を聞いて余は有明の巍々(ぎぎ)たる頂を望んだ時よりも嬉しかった」と記しています。内村鑑三にも教師の体験があり不敬事件を起こして教壇を追われた体験がありました。その内村鑑三にとっても、迫害に負けず、安曇野の小さな村で教壇を追われながらも私塾を開き、子供達の将来を作るために生きている井口喜源治の姿が美しく映ったのだと思います。
★北アルプスの頂きに天から降った一片の雪が、一滴の水となり流れとなって、やがて草木を潤し、大海に至り世界に広がって行くように、井口喜源治の影響は広がって行ったのです。「辛子種のような世界最小のものであっても、信仰があればやがて大きな木になり、鳥が巣を作り、旅人が憩う存在になる」とイエス様は言われました。この言葉を井口喜源治の生涯に添えたいと思います。そして私達も井原喜源治の生涯に学ぶものとなりましょう。

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