聖書に触れた人々NO31『井上伊之助と愛』

NO31『井上伊之助と愛』   仁井田義政 牧師

 私達の教会のホームページの中には、歴史の中に埋もれていたクリスチャン達を掘り起こした「聖書に触れた人々」というブログがあります。そこにはすでに三十人の人達の名が挙げられています。最近、さらにそこに是非加えるべき人の名が浮かび上がってきました。

その人の名は「井上伊之助」(明治十五年~昭和四十一年)という人物です。彼は高知県の出身ですが、一九〇〇年ごろ、立身出世を願って東京に出て来ました。その東京で内村鑑三の著書を読み、一九〇三年には中田重治から洗礼を受けました。更には伝道者になるために、東洋宣教会の聖書学校に入りました。その二年生の時です。彼の父親が、台湾の花蓮港で樟脳造りの作業中、原住民タイヤル族の襲撃を受け殺されてしまいました。私もタイヤル族の村には七回ほど伝道に行きましたが、非常に勇猛で誇り高い民族です。そのような中、伊之助は聖書学校卒業後、千葉県の佐倉市で伝道しました。しかし一九〇九年の夏のことでした。銚子の犬吠埼で徹夜の祈りをしていると、主から「台湾伝道に行くように」と召命を受けたのです。彼はさっそくその準備に取り掛かりました。その準備とは、伊豆の下田にあった開業医のもとで八カ月間、医学を学ぶというものでした。すでに家族を持っていた伊之助でしたが、単身台湾に渡り原住民伝道を開始したのです。事もあろうに、自分の父親を殺したタイヤル族への伝道です。

★原住民の居住地に入るには、つい最近まで地元警察の許可書がなければ入っていくことが出来ないような危険地帯でした。神様は、父親を殺したタイヤル族への伝道を伊之助に命じられたのです。「目には目を、歯には歯を」という言葉が旧約聖書にあります。それは復讐の勧めではなく、現代の法律につながっている対等法的な考えです。つまり目を突かれたら、仕返しは最大限、目を突き返すまでにしなさい。歯を折られたら、最大限でも歯を折り返すまでにしなさい。それを越えて命まで取ってはならないという教えです。これが現代の「行なった罪の重さに応じて処罰の量を決める」という法律になっているのです。しかしイエス様はさらに 『目には目で、歯には歯で。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。 しかし、わたしはあなたがたに言います。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。右の頬を打たれたら、左の頬を向けなさい」(マタイ五章三八~三九節)と教えられました。更に「しかし、わたしはあなたがたに言います。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」(五章四十四節)と教えられました。

★伊之助は、イエス様にその実践に遣わされたのです。伊之助が原住民の村に行く直前にも、原住民に日本人が殺されました。伊之助がそのころ書いた物の中に「・・・我も死んだと人に言われん」とあるそうです。死の覚悟で、山深い原住民の村に入って行ったのです。彼は正式な医 者ではありませんでした。僅か八か月、開業医のもとで見習いをしただけの人でした。しかし現地において少しずつ経験を積み、技術も身に着けていきました。ついには、原住民の地域のただ一人の医師として信頼を勝ち取っていったのです。ある時な どは、原住民の家に招かれてそこに泊まることさえありました。ついに、家族を台湾に呼び寄せて活動を続けました。しかし三人の子供たちは、風土病に感染し命を失ってしまいました。しかし伊之助は、原住民の診察を止めずに活動を続けました。ついに、台湾から一九三〇年(昭和三年)に正式な医師免許が与えられました。

★丁度その年に、原住民による日本人襲撃事件(霧社事件)が起きました。それは、タイヤル族の三百人が起こした抗日反乱事件でした。その時に殺された日本人は、一三四名にも及びました。それは、長期にわたる日本の支配と、その中での原住民達への不当な扱いと搾取が原因でした。その後、原住民の抗日運動は、原住民側の多くの犠牲者を出して鎮圧されました。鎮圧された抗日原住民は、川中島に強制移住させられましたが、そこで原住民にマラリヤが蔓延。そこに駆けつけて治療したのが伊之助でした。そのことが、原住民の中で伊之助が神のように崇められるきっかけになりました。彼は伝道者として台湾に来ましたが、政府によってキリスト教の伝道は許されず、ただ原

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住民の病気を見るだけの医療活動しか出来ませんでした。彼は戦後、中国国民党によって台湾を追われ、日本に帰国します。台湾に渡って三十年ほどの活動でした。彼の台湾での活動は、本来の目的であるキリスト教の伝道には失敗したかに見えました。

★しかし伊之助の帰国直後に、大規模な原住民のリバイバル(大勢の人達が一気にキリスト教徒となること)が起こったのです。父親を殺された井上伊之助が、仇に向かって仇で返さずに、キリストの言葉に従い、仇に向かって「愛」で返した生涯が結 んだ実なのです。今も台湾原住民は、日本人に対して非常に友好的です。私も何度も山地のタイヤル族の村々を尋ねましたが、そこには日本文化が根づいていました。最初の訪問の時でしたか、村に近づくと、なんと「東京音頭」が流れ、中には浴衣姿で踊っている人までいるではありませんか。まさに井上伊之助の魂と、キリストの愛が原住民の中に生きているのを感じました。キリスト教の伝道は許されないという不自由な中にあっても、キリストの愛を原住民に示し続けた愛の実践者、井上伊之助を決して忘れてはなりません。彼は帰国後、八十四歳で主に召されました。

(注)この文中には「原住民」という言葉が多数使われていますが、この呼び名は原住民自らが選んだ呼び名です。「先住民」ですと、昔はいたが今はいないという響きがあるので、彼らは誇りの為に原住民という言葉を選んだのです。

 

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