聖書に触れた人々NO24 「ジョン万次郎」

聖書に触れた人々NO24「ジョン万次郎」 2013年2月5日  仁井田義政 牧師

昨年の11月に、四国の土佐清水に聖会の奉仕の為に訪れました。その土佐清水には、わが教団の名物竹中通雄牧師がいます。その牧師は、よく郷土の歴史を知っている方で、聖会会場に向かう車の中で行きも帰りも四国や土佐清水の歴史を話して下さいました。四国は坂本竜馬の出身地でもあり、日本の近代化にはなくてはならない人々がたくさん出た所だからです。竜馬があまりにも有名な人物だったために、その陰に隠れてしまっているのがジョン万次郎です。近代日本の夜明けを語るのに、彼のことを話さないわけにはいきません。

★中浜万次郎は、土佐清水市中浜の貧しい漁師の家に、文政10年(1827年)の 1月1日に2男3女の次男として生まれました。9歳の時に父親を亡くし、14歳の時には出稼ぎに行っていました。故郷から徒歩一週間もかかる高知の宇佐で漁師として働き、家を支えていたのです。それは、1841年1月5日のことでした。仲間と一緒に足摺岬でアジ、サバの漁中に船が漂流し、万次郎達は遭難してしまったのです。数日間漂流した後、無人島(鳥島)に漂着しました。その島で143日間、過酷な生活をすることになりました。しかしその近くまでクジラを求めてきたアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に発見され、救助されました。

★しかし、鎖国であった当時のことです。アメリカの船は日本に近寄れずに、万次郎達は帰国することはできませんでした。彼らはやむなくアメリカへと向かいました。仲間は途中のハワイで降りましたが、万次郎はアメリカ本土へと向かいました。ジョン・ホーランド号の船長ホイットフィールドは、万次郎を大変気に入って、自分の家のあるマサチューセッツ州のフェアヘーブンに連れて行きました。船長は、万次郎を船名にちなんでジョン・マンと名付けました。アメリカで万次郎はホイットフィールド船長の養子となり、アメリカで学校教育を受けることになりました。日本では寺子屋にさえ行ったことがなく、当時の漁師が皆そうだったように無学でした。しかし彼はアメリカの学校で、英語・数学・測量・航海術・造船技術を学びました。しかも主席に近い成績だったと言います。ジョン万次郎は、アメリカの教会で洗礼を受けクリスチャンとなりました。その後一時は、捕鯨船に乗ってクジラ漁にも出たことがあります。

★しかし彼の心には、募る思いがありました。それは日本への思いであり、故郷土佐清水中浜への思いでした。彼はその旅費を作るために、ゴールドラッシュの起こっていたカリフォルニアへ移り、金鉱山で働き資金を得ました。それで船を購入し、日本へ向かったのです。途中ハワイに寄り、仲間達と一緒に船に乗り込み日本を目指しました。嘉永4年(1851年)のことです。万次郎達は、薩摩藩領の琉球(現:沖縄県)に上陸しました。その後、沖縄・薩摩藩・長崎奉行所などで長期に渡って取り調べを受けることになりました。その取り調べの資料を用いて、河田小龍によりまとめられたのが「漂巽紀略全4冊」です。この書を通して坂本龍馬や多くの幕末志士達がアメリカの様子を知り、海外に目が開かれていったに違いないと言われています。その後スパイの嫌疑がはれて、高知城下の藩校「教授館」の教授になりました。その教授館で岩崎弥太郎等が彼から直接指導を受けたのです。嘉永7年(1854)1月、ペリーは軍艦9隻を率い、江戸湾へ入港、幕府に条約締結を迫り、ついに同年3月3日、日米和親条約が締結されることとなります。

★時代は万延元年(1860年)となり、幕府は日米修好通商条約の締結の為に、アメリカに海外使節団を送りました。万次郎はその通訳として任命されました。その軍艦咸臨丸には、勝海舟や福沢諭吉ら歴史的に重要な人物が乗っていたのです。勝海舟は、咸臨丸の艦長でした。しかし酷い船酔いに苦しみ、実質的には万次郎が艦長であったと竹中師は言っていました。アメリカで航海術を学んでいた彼ですからそうだったのではと思います。アメリカに着いた勝海舟や福澤諭吉は、礼儀正しく日本式に頭を下げて挨拶しました。しかし万次郎は、握手とハグで挨拶しました。それを見て勝海舟や福沢諭吉達が「漁民の分際で生意気だ」と、機嫌を悪くしたとのエピソードもあります。時は明治となり、明治政府の命を受け万次郎は開成学校(現東京大学)教師となり、明治3年には教授となりました。しかしその後、彼は世の中の表舞台には出ることなく、71才の生涯を東京で終えました。彼の生涯のある時期には、板垣退助と一緒に四国の村を、万次郎は聖書の話をして、板垣退助は自由民権運動の話をして回ったそうです。 

   ★ジョン万次郎がいなかったならば、坂本竜馬も、勝海舟も、福沢諭吉も、板垣退助も、岩崎弥太郎も歴史的な人物となりえなかったかも知れません。ひいては鎖国を続けて来た日本の夜明けはなかったかもしれません。彼こそ日本の最初の国際人でとなった人でした。遭難と漂流という苦難で始まったジョン万次郎の数奇な人生。しかし近代日本の夜明けの為に、土佐清水の漁師にすぎない万次郎を神様が用いられたのです。

創世記には、自分の兄弟達にエジプトに奴隷として売られるという悲劇的な人が出てきます。エジプトで総理大臣にまでなったヨセフです。数奇な人生をたどりました。しかし彼は後に自分を売った兄弟達と会った時に「私を遣わしたのはあなたがたではなく、実に神なのです。」(創45章8節)と言いました。神様の計画を知ったのです。

私達にも、自分の意に反するような数奇さが人生にはあるのです。しかし神様がそうして下さったと知ることの出来る人は幸いです。私達も神様の計画を感じる人生を生きようではありませんか。

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