聖書に触れた人々NO20「ノリタケの創業者森村市左衛門」

聖書に触れた人々NO20「ノリタケ創業者森村市左衛門」 2012年10月30日                                                                        仁井田義政 牧師 天保10年(1839.12.2)10月27日~大正8年(1919)9月11日     (6代目)森村市左衛門と聞いて、わかる人は少ないのでしょう。しかし彼の起こした企業名の、ノリタケ、TOTO、日本碍子・INAXなどの社名を聞いて知らない人は少ないでしょう。さらにその起業者である森村市左衛門が熱心なクリスチャンであったということは、クリスチャン達にもあまり知られていないのではないではないでしょうか。私は陶器のオールドノリタケが大好きです。大好きですが、それをひとつも持ってはいません。その理由は高額だからです。でもパソコンなどでオールドノリタケの美しい絵皿などを見ては「何と美しいのだろう」とうっとりしていました。そのノリタケの創業者がクリスチャンであったとは。さて、今日はその森村市左衛門の事をお話し致しましよう。

★彼がクリスチャンとしてあまり知られていない理由の一つは、彼がクリスチャンになったのが、召される僅か2年前のことであったからかもしれません。彼は好地由太郎という巡回伝道者の話を好んで聴き、洗礼を受けました。77歳頃のことです。

★クリスチャンになる以前の森村市左衛門は、出家を考えたほどの仏教徒だったといわれています。彼は様々な企業を設立し、それで得た多額な利益を用いて、日本の社会に貢献すべく活躍していました。慶応大学校舎建築の為にも、日本女子大学校舎建築の為にも、多額の寄付を行ないました。特に彼は、当時遅れていた女子教育に協力し、多額の寄付をしたようです。ただ企業家として利益を追求するだけでなく、社会貢献を大きな目的としていたようです。

★彼は、陶磁器の貿易で海外と接し、アメリカでも販売しました。真偽のほどはわかりませんが、その時のひとつのエピソードが伝わっています。それによると、彼がニューヨーク支店へ出張した時のことでした。そこの支店を視察中に、薄暗い地下室で一生懸命働いている青年社員がいました。荷造りや発送の仕事を一生懸命しているのです。それから一年後、またその支店を訪れると同じ地下室で、その青年社員が同じ仕事を熱心にしていました。感心してその青年社員に話しかけてみると、京都の同志社大卒のクリスチャン青年であることがわかりました。どんな仕事も進んでやるという模範的な青年社員でした。それまで森村社長は仏教の信者でしたが、この青年社員の仕事振りに感動して教会に通うようになったといいます。およそ70歳の時でした。そして77歳の時に洗礼を受け、クリスチャンとなりました。

★森村市左衛門は、クリスチャンになってからひたすら伝道活動をしました。日本基督教団西千葉教会の記録には「1918年(大正7年)1月。前年の東京湾台風によって倒壊した建築中の新会堂の献堂式。新渡戸稲造、森村市左衛門、内村鑑三各師、講演」と記されています。またホーリネス教団の創立者である中田重次らと伝道して各地を回りました。そして短いクリスチャン生涯でしたが、世の成功を収めた者がクリスチャンとなり伝道者となったと言うことは、日本のキリスト教史にとって、とても価値のあることであったと思います。人生の目的を追求した森村市左衛門の人生の完成に、キリスト教があったのです。イエス様の言葉に「しかし、真理を行う者は、光のほうに来る。その行いが神にあってなされたことが明らかにされるためである。」(ヨハ 3:21)と言う言葉があります。森村市左衛門の真理を求めた人生の先で、光であられるイエス様に到達したのです。誰でも真理を求め続ける人は、イエス様に到達するのです。そういう意味で今日の御言葉として記します。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク