聖書に触れた人々NO19 「会津っぽ 新島八重の生涯」

聖書に触れた人々NO19「会津っぽ 新島八重の生涯」2012年10月16日仁井田義政牧師 

 福島県人が会津の人の気質を表わす言葉に「会津っぽ」という言葉があります。それは会津人の一徹さ、頑固さ、一度決めたら揺るがない、そのような気質を一言で表わす言葉です。最近、にわかに新島八重の人気が高まってきました。2013年の大河ドラマの主人公に選ばれたからです。時は江戸末期となった頃の1845年、会津藩の砲術師範、山本権八(ごんぱち)・佐久夫妻の子として、会津若松市に生を受けます。八重は、やがて同志社大学創立者の新島襄と結婚し、新島八重となります。しかし新島襄と結婚する前の事ですが、あの白虎隊で有名な戊辰戦争に、何と男として戦いに加わっていたのです。その新島八重はやがてクリスチャンとなりました。その生涯は会津魂に貫かれた波乱万丈の人生でした。                                   

 ★10数年前、私達夫婦は会津を訪ねたことがあります。そこには、会津の武士の子供達を教育した学校がありました。その子供達への当時の訓戒が残っていました。「女・子供の言うことを聞いてはなりませぬ。」等と言う、現代人がギョッとするような言葉もありました。そのような訓戒の終わりだったと思いますが「ならぬことはならぬものです」とありました。「問答無用。やっていけない事はやっていけないのだ」とでも訳すべきでしょうか。これが会津魂です。そのような風土に八重は生まれたのです。

 ★八重が9歳の頃、1853年アメリカの軍艦「黒船」が開港を迫って浦賀に来ました。そのような激変する日本の1865年(慶応元年)、19歳か20歳の時に川崎尚之助(かわさきしょうのすけ)と結婚しましたが、その三年後に離婚しています。その時は戊辰戦争真っ只中でした。1867年大政奉還が行なわれ、江戸城を徳川が明け渡すという日本史の大激変が起こりました。しかし会津藩は最後まで徳川幕府に着き、次の年に戊辰戦争を起こして新政府軍と戦いました。その戊辰戦争には、女性も子供も新政府軍と戦いました。女性は薙刀で戦うのが普通でしたが、山本八重は髪を切り、男装し刀を差し、スペンサー銃を手に戦ったのです。しかし、少年達で編制された白虎隊も飯盛山で自害し、会津藩はついに新政府軍に敗れました。戦いに敗れた山本八重が、城を去る時に詠んだという歌があります。「あすの夜はいづくの誰かながむらむ馴れしみ空に残す月影」。戦いに敗れて城を去る八重の無念な思いがこもっています。徳川幕府に仕える幕臣として、最後まで自分を変えないで戦った、それが会津魂を表わしています。

 ★山本八重は失意の中に生き残った家族と共に、京都にいる兄の山本覚馬を頼り、明治4年に京都へと向かいました。八重は、兄の影響で今度は勉学に一生懸命励みました。特に西洋の思想を学ぼうと、英語の学びに力を注いだのです。その英語の学びの為に行っていた医療宣教師ゴードンの家で、最愛の人・新島襄と出会ました。ゴードン宣教師は新島襄がアメリカで学んだ神学校、アーモストカレッジの先輩だったのです。新島襄は、まだ日本が鎖国であった時、日本から密出国してアメリカ留学に行った人です。彼は聖書の創世記を読んで感動し、天地万物の創造者である神を日本の若者達に教えたいとの思いに満ちて帰ってきました。襄と八重は魅かれ合っていきました。明治8年10月15日八重は新島襄と婚約しました。そして翌年の明治9年1月2日京都で洗礼を受け、最初の人となりました。そして洗礼式の翌日に、デビス宣教師の司式で結婚式を挙げました。襄32歳、八重30歳でした。この二人が、京都初のプロテスタントのキリスト教式で結婚式を挙げた人となったのです。二人は力を合わせ、京都の仏教会の猛反対の中、同志社を設立しました。八重の兄、山本覚馬はそのために6000坪の土地を提供しました。

 ★その新島襄も明治23年1月23日、八重に「狼狽するなかれ、グッドバイ、また会わん」と最期の言葉を残して、47歳の生涯を終えたのでした。わずか14年の結婚生活でした。八重は襄の死後、また新しい分野へと乗り出しました。日本赤十字社の社員となったのです。そして日清戦争が起こると、従軍看護士となって救護活動を開始しました。また日露戦争が起こると、すぐに従軍看護士として活動しました。58歳の頃でした。

 また、同志社の学生達を愛し、社会活動も活発にしていました。しかし昭和7年7月15日のこと、急性胆嚢炎がもとで八重は87歳の生涯を終え、天に召されたのでした。このとき八重は全ての財産を同志社に寄付しました。新島襄は、男勝りの八重をクリスチャンとして心から愛おしみ、また八重も新島襄の下でクリスチャンとして会津魂を貫き通した生涯を生きたのでした。会津の武士の子を育てる訓戒の中に、前に話した「ならぬことはならぬものです」という会津人の一徹さを表す言葉があります。それはクリスチャン魂ともそのまま寄り添う言葉でもあります。そこで今日は、Ⅱ歴代 34:2の「彼は主の目にかなうことを行って、先祖ダビデの道に歩み、右にも左にもそれなかった。」という御言葉をあげておきたいと思います。まっすぐな生き方を八重の生き方と共に、しっかりと心に止めようではありませんか。

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