聖書に触れた人々NO4「作曲家 滝 廉太郎」

人物による婦人聖研 聖書に触れた人々NO4「作曲家 滝 廉太郎」2012年1月31 日

                                                                         ヨハネ7章38節            仁井田義政 牧師

    作曲家の滝廉太郎がクリスチャンであったことは、日本のクリスチャン達の中でさえ知られていないことが多いのではないでしょうか。しかし彼は間違いなく、明治期のクリスチャンでありました。今日は「クリスチャン滝廉太郎」をクローズアップしてお話ししましょう。

★彼は15歳で東京音学学校(現・東京芸大)に入学し、1898年(明治31年)本科を首席で卒業しました。その後、研究科に進み、翌年音楽学校嘱託となります。彼にピアノを教えたのは、ロシア人ケーベル博士で、東京帝国大学で哲学を教えるとともに、ピアニストでもあり、彼のピアノの指導はチャイコフスキーだったといいます。東京音楽学校でも教えていました。そこで、滝廉太郎は彼からピアノを学んだのです。 滝廉太郎は1900年10月7日、つまり東京音楽学校の生徒の時代に、当時麹町にあった博愛教会の元田作之進牧師により洗礼を受けました。廉太郎を博愛教会に導いたのは、東京音楽学校の同級生高木チカという女性でした。「日本聖公会」博愛教会は、世田谷の砧に移り、名前も変わって「聖愛教会」という名前で現在も存在しています。

★滝廉太郎の曲で私達に親しみの深い曲のひとつは『荒城の月』でしょう。この曲の歌詞は土井晩翠(つちい ばんすい)によって書かれました。土井晩翠はクリスチャンではありませんでしたが、夫人と娘はクリスチャンでした。東京音楽学校が「中学唱歌」のための曲を懸賞募集しました。それに応募した滝廉太郎作曲の『荒城の月』や『箱根八里』『豊大閣』が入賞しました。その時の賞金は1曲5円で、合計15円を得たと言われています。滝廉太郎はその時代、教会で青年会の副部長をし、礼拝の時にはオルガンで賛美歌の伴奏をしていたそうです。

作曲者の滝廉太郎と作詞者の土井晩翠の『荒城の月』にはちょっとした繋がりがあるようです。前にも話しましたが、土井晩翠はクリスチャンではありませんでしたが、奥さんと娘さんが熱烈なクリスチャンでした。晩翠の娘、照子は27歳の時に結核で亡くなりました。臨終の時に、照子は自分のことで悲しんでいる父に、テニスンの詩を読んでもらったそうです。その詩の言葉を通して、彼女は父に「お父様、私の死を悲しまないでください。私は天国でイエス様にお会いします。そして、そこでお父様のために祈り続けます」と言いたかったのではないかと、大塚野百合氏は著書に書いています。晩翠の歌詞は無常観のみでなく、この世には変わらないものがあると言うことを、『荒城の月』の歌詞の中に書いています。     (注 なお彼の苗字はもともと「つちい」と読むのだが、頻繁に「どい」と誤読されるため、1934年に自ら「どい」と改名することを宣言した。)

★滝廉太郎はその後、ドイツのライプチヒ王立音楽院に留学しました。しかし二ヶ月後に肺結核を発病してしまいました。1902(明治35)年の11 月下旬に日本に帰国し、大分の父母のもとで療養しました。しかし1903年6月、彼は23歳10ヶ月という若さで召されました。墓地は大分市内の臨済宗万寿寺境内にあります。肺を病んで終わったことで、葬儀は近親者のみで行われました。しかし参列者の中に、聖公会宣教師ブリベ夫妻の姿が見えたといわれています。

★日本の歌の中で、荒城の月は不動の位置を保っている有名な曲です。またそのメロディはロシア正教において認められました。ロシア正教会の修道院の礼拝にふさわしいとされ、修道院は「荒城の月」を聖歌に加えたのです。彼はクリスチャンになってからの生涯が数年だったせいか、一曲の賛美歌も作曲して残してはいません。また彼のクリスチャンとしての記録も、その教会が焼失してしまったので失ってしまいました。また家族が教会員でなかったために、お墓もお寺に作られました。そのようなことが重なって、彼のクリスチャンとしての部分は、歴史から埋もれてしまったように思います。しかしロシアの教会が、彼のメロディは礼拝にふさわしい調べであると、再び彼を教会の祝福の流れに引き戻したのです。彼の感銘を受けた聖書の言葉が何であったのかも、分からなくなっています。

ですから今日は私が彼の生涯を調べながら心に浮かんできた聖書の言葉を、クリスチャン滝廉太郎にまつわる言葉として記させて頂きます。

「 わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」ヨハネ7:38

クリスチャン滝廉太郎の心の奥底からもキリストの生ける水が流れ始め、日本人である私達の心のメロディとなっているだけでなく、ロシアの教会の中にもクリスチャン滝廉太郎のメロディが祈りの歌となって流れ続けています。日本のクリスチャンは滝廉太郎を誇るべきだと思います。

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