聖書に触れた人々NO12「母にもまさる母 井深八重」

  聖書に触れた人々NO12「母にもまさる母 井深八重」 2012年6月5日

ヨハネ12章24節        仁井田義政牧師

ハンセン病患者達から「母にもまさる母」と慕われた井深八重は、22歳まで最高の学問を与えられた女性でした。彼女は同志社女学校を卒業し、英語教師として長崎県立女学校へ赴任するほどの前途有望な女性でした。しかしその井深八重の人生が思いもよらぬ方向へと急激に動き出すことになるのです。それは神様の彼女に対する御計画でした。

★井深八重は、1897(明治30)年10月23日 台湾の台北市で生れました。 彼女の家は旧会津藩家老からの家柄で、国会議員にまでなった井深彦三郎の娘でした。明治学院学長だった父方の叔父、井深梶之助の家に預けられ、英才教育を施されました。1918(大正7)年、同志社女学校英文科卒業と同時に、同年の4月に長崎県高等女学校の英語教師として採用されました。彼女の人生は、順風満帆で計画どおりに進むかに見えました。しかし教師となって約一年後、その事件は起こりました。

★その頃すでに井深八重には縁談もありました。そのような年のことです。彼女の体にポツポツと斑点が出て来たのです。医師は診察した後、本人には病名を告げませんでした。その病名は家族に伝えられ、彼女は世間に隠れるようにして神奈川県の神山復生病院に隔離され、そこで病名はハンセン病であると知らされたのでした。彼女は絶望的な状況に陥りました。しかし彼女の病状は、病院の中では比較的軽い方でした。その病院には当時看護師が一人もいなかったため、軽度の患者が重度の患者のお世話をすることが義務となっており、井深八重も重度の人達のお世話をするようなりました。入院から一年が経った頃、彼女の症状は悪化しないばかりか、きれいな肌にさえなって来ました。そのような事から、親戚が開いている病院で診察して頂いたところ、なんと彼女の病気はハンセン病ではなく、一時的な皮膚病だったのです。つまりハンセン病との診断は誤診だったのです。

★井深八重が入院していた病院の医師は、フランス人でレゼー神父というお方でした。レゼー神父は「あなたが、ハンセン病でないということがわかった以上、あなたを此処におく理由がなくなりました。どうぞ今後の事は良く考えて、自分の人生を生きて行って下さい。」と言いました。「もし日本が嫌ならばフランスへ行ってはどうか。私の家族があなたを迎えてくれるでしょう」とまで言って下さいました。それはこの時代はまだハンセン病に対する強い差別があり、そこで働く人にまで差別があったからです。しかし井深八重からは予想も出来ない返事が返ってきました。それは「私は看護師の勉強をして資格をとり、この病院の看護師になります」というものでした。彼女は、その病院に医者はレゼー神父ひとり、看護師は皆無で、レゼー神父が必死になって治療をしている姿をずっと見ていたのです。井深八重はその後4年間東京の看護学校で学び、1923年に看護の資格を所得し、病院に戻ってきました。そのことにより彼女は病院初の看護師となったのです。ハンセン病患者にだけではなく、そこで働く人への差別が激しかった時代に、彼女はためらうことなく飛び込んできたのです。

★井深八重がクリスチャンになった時のことをお話しましょう。それは絶望しているハンセン病院でのことでした。日曜日に礼拝があり、井深八重も神父から礼拝にさそわれていました。礼拝の時間になると、レゼー神父のもとに礼拝の為に患者さん達が集まってきました。礼拝が始まると、不幸のどん底にいると思われる患者さん達が、讃美歌を歌い、祈りの中では「神様、心からあなたに感謝します」と感謝までしているのを見たのです。八重は驚いて、礼拝のあと神父に「どうして彼らは感謝出来るのですか」と聞きました。すると神父は「彼女達はイエス様を心から信じているので、苦しみと絶望の中にあっても、喜びと感謝をもって生きていくことができるのです。」と言いました。そして彼女は「私もあの人達のようになりたい」と信仰を告白し、洗礼を受けてクリスチャンになりました。

★井深八重の生涯の働きは「神山復生病院」での看護師としての働きでした。ついに社会から、彼女の患者達への献身的な看護が認められ、1961(昭和36)年に、看護師たちの最高の賞である「ナイチンゲール記章」を受賞しました。日本からは天皇より黄綬褒章が授与されました。その他にも新聞社からの賞など多数ありました。でも井深八重は患者達から「母にもまさる母、八重さん」と呼ばれるのが一番の賞だったでしょう。井深八重が座右の銘としていた聖書の言葉は「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん。もし死なば、多くの果を結ぶべし」ヨハネ12章24節でした。彼女は1989年(平成元年)に天に召されました。92歳の生涯でした。彼女の墓には「一粒の麦」と刻まれています。私達も、彼女の生涯を通してこの御言葉を見つめ直して、実行できる人になりましょう。

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