聖書に触れた人々NO1 「森永製菓の創立者 森永太一郎」

婦人聖研  聖書に触れた人々NO1 「森永製菓の創立者 森永太一郎」2011年11月8日

                       仁井田義政 牧師

「キリスト・イエス、罪人を救わんために世に来たりたまえり。」第一テモテ1章15節  

「義は国を高くし、罪は民をはずかしむ」箴言14章34節

聖書の有名な御言葉は101回をもって、先週終了とさせていただきました。記録によりますと、第一回は2005年10月18日の婦人聖研からでしたから、まる6年続いてお話ししたわけです。そこで今度は、聖書の御言葉に強く影響を受けたり、座右の銘としたりした有名な人々を取り上げつつ、聖書の御言葉をお分けしたいと思います。「え、あの人がこんな御言葉を」などと言う驚きがあるのではなないでしょうか。第一回目は、森永製菓の創立者「森永太一郎」です。

★森永太一郎(1865-1937)は、佐賀県伊万里で一番の豪商の家に生まれました。しかし、6歳の時に父が死に、母は再婚し、彼は親戚の間を転々とする生活となりました。そのような幼少時代のため、12歳になっても字が読めず、その後、母方の伯母にあたる山崎家の養子となり、学問を修めることができました。19歳で上京し陶器商に勤め、20歳で結婚しました。彼は家族のためにアメリカでも日本の陶器を売ろうと単身で渡米しますが、全く売れず計画は失敗してしまいました。

★失敗したまま日本に帰ることも出来ず、ある公園のベンチに暗い思いで座っていたとき、とても上品な感じの婦人からキャンディを頂きました。とたんに太一郎は、洋菓子職人になろうと決心ました。しかし当時は人種差別が強い時代であり、苦労の多いアメリカ生活でした。下男をしながら数軒の家を転々としつつ生活していたある時、オークランドの老夫妻の家に雇われました。そのことが太一郎を変えることになったのです。その老夫婦はクリスチャンで、太一郎を差別することなく家族のように受け入れてくれたのです。その老夫婦の人格に触れ、彼は教会に導かれ、洗礼を受けることになったのです。

★すると太一郎は菓子職人になる夢を捨て、キリスト教の伝道者になる夢を抱いて帰国しました。彼は日本に帰ると、即座に親族や兄弟に伝道しました。しかしそのような太一郎を見て、人々は「太一郎はアメリカで頭がおかしくなった」と反対しました。育ててくれた岩崎家からも離縁されてしまいました。彼は伝道者になることにも失望し、再度アメリカに渡り、洋菓子作りの学びを続けました。そして帰国後、マシュマロを作って販売すると、それが大当たりとなりました。それらのお菓子をガラス張りのリヤカーに積んで販売して回りました。そのリヤカーの上には「キリスト・イエス、罪人を救わんために世に来たりたまえり。」(第一テモテ1章15節)。「義は国を高くし、罪は民をはずかしむ」(箴言14章34節)との聖書の言葉が書かれた看板が掲げられていました。そのような彼を町の人たちは「ヤソのお菓子屋さん」と呼ぶようになりました。

★やがてあの有名なミルクキャラメルが販売されると、日本中で大ヒットとなりました。昭和の人ならば一度は食べたことのあるキャラメルでしょう。しかし商売の成功と同時に、信仰の面は一時停滞した時があったようです。その信仰も、奥さんの死を契機に復活しました。彼は川のほとりで泣きながら再献身を誓いました。その復活した信仰を証明するようなエピソードがあります。それは1923年の関東大震災の時でした。かれは被災者にお菓子を無料配布したのです。すると森永の幹部達はそれに反対しました。その反対に対して、太一郎は「これは神様とお客様へのお返しだ」と配り続けたのでした。

★やがて社長を退いて会長となってからは、全国の教会を伝道講演して回りました。その時の講演題は、判で押したように「我は罪人の頭なり」であったと言います。ちなみに森永のエンジェルマークのTMは、彼の頭文字と言われています。

人は不幸な人生が過去にあっても、恨む必要などありません。神様の導きを信じれば人生は素晴らしい。一時的に信仰が停滞していた時期があつた等と、悩む必要もありません。これからの人生が大切なのです。森永太一郎氏にとって、最初に掲げた御言葉と不信仰が回復して掲げた御言葉が同じであっても、意味においては全くちがったものとなっていたと思います。私達も人生の様々な体験を通して御言葉の深みを知ろうではありませんか。

 

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